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「文化時報」コラム

〈64〉恥を知れ!(上)

2024年8月18日 | 2024年10月2日更新

※文化時報2024年5月31日号の掲載記事です。

 5月22日、袴田事件=用語解説=の再審公判(やり直しの裁判)が結審した。検察官の論告求刑と弁護団の最終弁論の内容、そして判決日が何月何日に指定されるのか、一刻も早く知りたくて、取るものもとりあえず、「江戸詰め」中の東京から早朝の新幹線で静岡に向かった。

 ヒューマニズム宣言サムネイル

 午前8時過ぎに静岡地裁前に到着すると、すでに傍聴券の抽選に並ぶ列ができていた。その列に加わったものの、町内会の福引にすら当たったことのない、くじ運絶無の私は今回も落選した。

 午前10時半過ぎ、裁判所に入廷する袴田ひで子さんと弁護団を見送り、午後からは傍聴券の抽選に外れた多くのマスコミ関係者や支援者たちとともに、公判後の記者会見会場となった静岡市民文化会館に移動した。そこでは金聖雄監督(本コラム第27回で紹介した『オレの記念日』の監督)が、釈放後1年余りにわたって袴田巖さんと姉のひで子さんの日常を記録したドキュメンタリー映画『袴田巖 夢の間の世の中』が上映されており、私も観(み)た。

 2014(平成26)年3月27日に静岡地裁で巖さんの再審開始が認められたとき、併せて「拘置の執行停止」も決定された。それは、再審開始決定に伴い、死刑の執行が停止されるだけでなく、その前提としての拘置(身体拘束)も停止されるというもので、これにより巖さんは48年ぶりに釈放された。その後巖さんは、ひで子さんが弟のために建てた賃貸ビルの最上階にある自宅で、ひで子さんとともに暮らすようになった。

 映画では、自宅に戻った巖さんが、能面のような無表情で部屋の中をひたすら歩き回る姿が映し出される。数十年にわたり死刑執行の恐怖にさらされたことで精神を破壊され、恐怖から逃れるために作り出した妄想の世界の中に閉じこもってしまったのだ。

 かつて獄中で書いた手記の一節が、青白い満月をバックに浮かび上がる。

《さて、私も冤罪(えんざい)ながら死刑囚

 全身にしみわたって来る悲しみにたえつつ生きなければならない

 そして死刑執行という未知のものに対するはてしない恐怖が私の心をたとえようもなく冷たくする時がある》

 ひで子さんは、そんな弟に寄り添い、さりとて過干渉もせず、自由に過ごさせる。

 日がたつにつれ、来訪者と将棋を指したり、親類の赤ん坊をそっと抱いて慈愛のまなざしを注いだり、一人で外出して大量のドーナツを買ってきたりする巖さんは、徐々に柔らかな表情になっていく。

 スクリーンの中で巖さんが見せるかすかな変化を見守っている途中、スマートフォンの画面にニュース速報が表示された。

 「検察、袴田さんに再び死刑求刑」―。

 私は即座にその記事を会員制交流サイト(SNS)に拡散した。

 「検察よ、恥を知れ」とのコメントとともに。(続く)

 

【用語解説】袴田事件
 1966(昭和41)年に静岡県で起きた一家4人殺害事件。強盗殺人罪などで起訴された袴田巌さんは公判で無罪を訴えたが、80年に最高裁で死刑が確定した。裁判のやり直しを求める再審請求を受け、2014(平成26)年3月に静岡地裁が再審開始を決定。袴田さんは釈放された。
 検察側の即時抗告によって東京高裁が決定を取り消したものの、最高裁が差し戻し。東京高裁は23(令和5)年3月、捜査機関が証拠を捏造(ねつぞう)した可能性が「極めて高い」として、改めて再審開始決定を出し、検察側は特別抗告を断念した。同年10月から静岡地裁で再審公判が始まった。

【用語解説】大崎事件
 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。

 

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