2022年10月11日 | 2024年8月28日更新
※文化時報2021年10月21日号の掲載記事です。
ある大学から「児童虐待が絡む刑事事件での経験を講義してほしい」との依頼を受け、記憶をたどった。弁護士になってまだ2カ月目だった私が、ほぼ同時期に弁護人を務めた二つの事件を思い出した。
一件は、ダウン症(染色体異常によって身体・知能に障害が生じる先天性疾患)の6歳の息子の行く末に絶望し、発作的にわが子の首を絞めて殺害したA子さんの事件。その後自分も命を絶とうとしたが死に切れず、警察に出頭した。
もう一件は、生後2カ月のわが子が泣きやまないことに困り果て、立った状態で抱いていた息子を頭から床に落とし、一生歩くことができないほどの重傷を負わせたB子さんの事件。B子さんは出会い系サイトで知り合った男性の子を身ごもった途端、その男性に逃げられ、独りで息子を出産していた。
母親がわが子を殺したり大けがをさせたりする。いったいどうしてそんなことができるのだろう。私には当時中学1年の一人息子がいて、溺愛といっていいほど大事に育てていた。だからわが子を虐待する母親なんて到底理解できない、と思っていた。
「障害のある子どもの子育てに苦労があるのは分かるけど、何も殺さなくていいのに」「泣きやまないからといって乳飲み子を床に落とすなんて言語道断」―。
しかし、新米弁護士とはいえ、A子さん、B子さんの弁護人になった以上、途方に暮れているわけにもいかない。気を取り直した私は、なぜ2人がこのような事件を起こしてしまったのか、その背景を徹底的に調べた。
A子さんの息子が通っていた病院、幼稚園、施設に行って関係者の話を聞き、親族や近所の人たちにも会った。B子さんの息子が搬送された病院では、主治医が児童相談所や保健所、福祉の専門家などを集めてこの子の今後を検討するカンファレンスを行っていたため、私もそこに加えてもらった。
児童虐待を専門に研究する学会にも参加申し込みをして鹿児島から福岡まで赴いた。何しろ新米である。スキルも何もない。体当たりでやれることをやるしかない。
そして、体当たりの末に見えてきたものは、想像を絶する「孤独」だった。
【用語解説】大崎事件
1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。弁護団は即時抗告し、審理は福岡高裁宮崎支部に移った。