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お寺と福祉の情報局

ブッダが妻帯を禁じたのは、子どもが生まれたから

2024年6月17日 | 2024年8月9日更新

 以前、「肉食と妻帯は、日本のお坊さんになぜ許されるのか」 という豆知識を紹介しました。今回は、そのうちの妻帯について詳しく見ていきたいと思います。

生まれてきた子ども(イメージ画像)
生まれてきた子ども(イメージ画像)

 仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタ(ブッダ)には、ヤショーダラという妻がいました。やがて2人の間に息子が生まれたのですが、これから出家しようとしていたブッダは、その道を妨げられてしまったと感じます。それは、息子のことを「さわり」を意味する「ラーフラ」と呼んだほどでした。

 後に再会したものの、仏道を追求するために一度は妻子を捨てたブッダ。「出家者は一切のものを捨てなければ悟りには至れない」といった理念が妻帯の禁止につながっていると考えられます。

 さて、日本では奈良時代の「僧尼令(そうにりょう)」によって、出家に際しては国の許可が必要になり、僧侶の妻帯や飲酒が禁じられました。9世紀までは禁を破った僧が処罰されていた記述が残っているそうですが、中世から鎌倉期になると僧侶の妻帯や性交は野放しになっていきました。それを再び豊臣秀吉が厳しく取り締まったといいます。

 一方で、親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗は妻帯を公認しており、江戸幕府もこれを宗派の「宗風」として特別に認めていました。親鸞聖人は自身のことを「非僧非俗」、つまり僧侶でも俗人でもあり、またどちらでもない―と称していたためかもしれません。

 在家者も出家者も同じように救われることを証明するためのものだった、あるいは師僧の法然上人が妻帯を勧めていて、親鸞聖人はそれに従った―という説もありますが、いずれにせよこれまでの仏教者とは少し異なったタイプの人物ではあったようです。

 このように日本は妻帯に関してだんだんと自由になっていきましたが、現在でも僧侶の妻帯が認められている国は、明治期に日本仏教の影響を受けた韓国の一部の少数宗派程度で、実は非常に少ないのです。

 仏教において、出家者は煩悩から離れて自分自身が悟ることを目標にしますが、日本にはお寺の檀家制度があります。それを踏まえると、お寺の存続などのためには世襲制にせざるを得ず、子を持つために妻帯も認められるようになっていったという背景も考えられるのではないでしょうか。

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