2025年2月26日
※文化時報2024年11月29日号の掲載記事です。
日本弁護士連合会の呼び掛けで発足した「日本の死刑制度について考える懇話会」(座長、井田良・中央大学大学院教授)が、死刑制度とその運用を「現状のままに存続させてはならない」とする報告書をまとめた。宗教界の代表を含む委員16人による全員一致の意見である。宗教界にとっては、議論を加速させる時期が到来したといえよう。
委員には、与野党の国会議員や犯罪被害者遺族、元検事総長、元警察庁長官に加えて、世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会理事長で全日本仏教会元理事長の戸松義晴氏が名を連ねた。「必ずしも所属団体を代表する意見ではなく、発言は個人の責任に帰する」との注釈はあるものの、日弁連が命の尊厳に正面から向き合う宗教界からも有識者を招いたことは、高く評価できる。
報告書は、国会や内閣の下に死刑制度に関する「根本的な検討」のための会議体を設置するよう提言した。死刑の存置が国益を損ねていないかどうかなど6点について具体的に検討し、結論を出すまでの間は死刑執行を停止するかどうかも考えるよう求めた。
検討項目の中で宗教者が特に注目すべきなのは、被害者遺族の視点と刑罰理論である。
報告書は「死刑の存廃について議論する際には、何よりも被害者遺族の想いに寄り添うことが必要」だと掲げた。一方で容疑者・被告人の権利重視か被害者遺族に思いを致すかという二項対立を「不毛かつ不幸な状況」として退け、「被害感情・処罰感情が死刑制度の根拠となるかは別の問題だ」と主張した。
刑罰理論に関しては、他人の生命を奪った者は、自らの生命を奪われても仕方ないという「応報思想」に基づく刑罰を明確に否定した。いずれも、宗教者の振る舞いや精神性に照らせば、宗教界にとって納得できる意見といえるのではないか。
ところが仏教界は、死刑廃止を教団として訴えている真宗大谷派を除き、煮え切らない態度を示している。
全日仏は2019年12月、「仏教の教義と死刑が相いれないことは明白」とする社会・人権審議会の答申をまとめた。全日仏として死刑反対を明確に打ち出すのではないか―という観測も流れたが、翌20年1月に釜田隆文理事長(当時)が出した談話は「さまざまな視点から検討し、議論を進めなくてはならない」などと無難な言い回しに終始した。
それから約5年間、仏教界は死刑制度に対する理解を深め、存廃について真剣に議論してきただろうか。「己(おの)が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」と説いた釈尊の教えが誰にでも当てはまるという信念を揺るがせることなく、被害者遺族のグリーフ(悲嘆)に向き合おうとしてきただろうか。
懇話会の報告書は「事態をただそのままに放置するという現状に甘んずることなく、問題解決に向けて一歩でも先に歩を進めること」が重要だと結んだ。全文はホームページで公開されている。宗教者にこそぜひ読んでいただき、当事者意識を持って考えてほしい。