2025年4月10日
※文化時報2024年11月5日号の掲載記事です。
日本葬送文化学会の創立40周年記念公開シンポジウム「葬送の今と樹木葬」が9月8日に東京都内で開催された。岩手県一関市で日本最初の樹木葬墓地をつくった知勝院創始者の千坂げんぽう氏(臨済宗妙心寺派祥雲寺前住職)と、葬送ジャーナリストの碑文谷創氏が対談。千坂氏は、知勝院のような樹木葬墓地が広がらなかったのは、「地域住民のために、熱意を持って取り組もうとする住職が少ないため」などと語った。
今回のシンポジウムで知勝院の樹木葬墓地を取り上げた理由について、主催者は次のように指摘している。
「樹木葬は、今いちばん人気だが、実態としては既存墓地内の一角の墓所周辺に木や花などの植物を配しただけの“樹木葬もどき”が全盛となっている」
知勝院の樹木葬墓地は、大規模霊園の開発が進められていた1970~90年代に「自然と共生した葬送」を掲げて登場した。外観が既存墓地と大きく異なるだけでなく、周辺地域の森林や河川を保護していることが環境保護団体からも評価されている。
千坂氏と碑文谷氏の対談は、司会者からの質問に対して答える形で進められた。
「こんなに良い樹木葬がなぜ広がらないのか」との質問に対し、千坂氏は「地域住民のために、地域住民を巻き込んで、熱意を持って取り組もうとする住職が少ないため」と指摘。
また、地域を良くするには交流人口を増やさなければならない、という認識が不足していると強調。知勝院では宿泊施設をつくり、1泊千円くらいを布施としてもらっていること、そのようにして遠くからでも来やすくすると、首都圏などの人たちが樹木葬を求めてやってきたこと、それによって地元でも求める人たちが増え、現在では3割が地元となっていること―などを説明した。
「『樹木葬』をなぜ商標登録しなかったのか」との問いに対しては、碑文谷氏が「千坂さんは『自然葬』という名称にしたかった。ところが『葬送の自由の会』が、散骨に自然葬という名称を先に使ったので、樹木葬にした」と経緯を解説。
千坂氏は「私の樹木葬の考えはすごく良いと思ったし、山を持っているお寺も結構多いので、ほかのお寺にも頑張ってもらいたいという思いがあって商標登録しなかった」と答えた。
「“樹木葬もどき”が増えてきていることについて、どう見ているか」との質問について、千坂氏は「人間は樹木などの自然によって生かされている。いま増えているのは樹木葬という名称を使用しているだけ。人間と自然の命のつながりをないがしろにしていることが問題」と批判した。
碑文谷氏は、商標登録をしなかったがゆえに「樹木葬には定義がない」とうそぶく事業者などが現れ、当初の「自然との共生」という理念を放棄し、木や花を植えて自然らしさを売りにしたビジネス色が強いものが増えたと明かした。その上で「売れるという目的だけで、樹木葬をうたっているのではと思うところが少なくない。葬送の理念なきビジネス化に陥っているのではないか」と問題提起。
一方で「樹木葬に限らず、承継によらない墓が多様化し、生活者の選択肢が増えたと考えると、悪い現象とばかりはいえない」とも語った。
樹木葬墓地には、里山型、樹林型、ガーデニング型、シンボルツリー型の四つの種類がある。前の2種類は、自然共生を志向したものだが、後の2種類は異なり、遺骨が自然に返らないものもある。
碑文谷氏の言う“樹木葬もどき”を買っている人たちが、こうした情報を得て、違いを分かった上で買っているなら、問題提起してみても仕方がなかろう。
だが、“樹木葬もどき”を開発・販売している事業者は、多くの広告・宣伝を打つため生活者の目に触れる機会が多い。一方、自然共生志向の樹木葬を販売しているところは数が少なく、なかなか情報を得られない。
また、マスコミ報道も売れているところを中心に取り上げることが多く、樹木葬の違いまで踏み込んで伝えることはあまりない。
こうしたことを考えると、さまざまな樹木葬の情報を得て、違いを分かった上で“樹木葬もどき”を買っている生活者は、果たしてどれだけいるだろうか。
日本葬送文化学会が、自然共生志向の樹木葬の生みの親である千坂氏を招き、現状の“樹木葬もどき”ブームに問題提起したこと、そして一般参加者も多かった意義は大きいと思う。