2025年5月26日
※文化時報2025年1月31日号の掲載記事です。
さまざまな現場で宗教的ケアに当たるチャプレン=用語解説=の活動について学ぼうと、龍谷大学大学院実践真宗学研究科は、公開シンポジウム「スピリチュアルケアと宗教的ケア~チャプレンとしてのアイデンティティー」を大宮学舎(京都市下京区)とオンラインで開催した。軍隊、病院、拘置所で勤務するチャプレンを招き、実践の特徴や課題を通じて、宗教者の意義について考えを深めた。
韓国陸軍のミリタリーチャプレン咸賢俊(ハム・ヒョンジュン)氏、淀川キリスト教病院(大阪市東淀川区)の浜本京子氏、東京拘置所教誨(きょうかい)師会会長の若狭一廣氏が講演。その後、院生らを交えた質疑応答では「言葉選びは気を使う」「信仰の有無でなく人として出会う」などチャプレンとしての心掛けが明かされた。
シンポジウムは昨年12月12日に行われた。登壇者の主な発表内容は次の通り。
韓国には徴兵制度があり、年間約20万人が軍隊に入る。軍での生活は厳しくてつらく、近年は精神的ケアが重視されている。ミリタリーチャプレンは重要な存在だ。ストレスや緊張にさらされたとき、人は無神論者ではなくなる。チャプレンたちはその中で、兵士の信教の自由を守り、心の支えとなっている。
直接的な宗教的支援以外にも、カウンセリングや戦死者への追悼、倫理教育の実施など、ミリタリーチャプレンの役割は多岐にわたる。単なる布教伝道を超えた包括的支援であり、兵士の精神的な健康や倫理観の向上、家族の支援まで含む制度として発展している。
軍にはさまざまな宗教を持つ人がいる。お寺や教会で、僧侶と神父が一緒になって活動している。坐禅を通じたメディテーション(瞑想(めいそう))が人気だ。他にも、軍に入ってきた若者たちを励ましたり、射撃訓練場に出向いて笑わせたりと、多様なプログラムがある。
若者だけでなく、地位のある人も含めた全ての人々をケアするのが、われわれの任務だ。
『マタイによる福音書』5章13節には「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう」とある。クリスチャンの自分にとって「塩」とは何かを考えてきた。
淀川キリスト教病院は「全人医療」の理念を掲げており、人間のいのちを全体で捉える視点を、医療や介護の臨床現場に持ち込んでいるといえるだろう。
キリスト教徒の医療従事者は近年、実践の根底にあるキリスト教的人間理解や信仰を社会の中で隠すようになり、「塩」は薄められてきた。しかし、「塩」はたしかに生きている。自分の伝統とアイデンティティーに根差しているからこそ、多様性を恐れずに見守れる。それがチャプレンの大切な役割だ。
『マルコによる福音書』でも地の塩はこう書かれる。「塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味をつけるのか。自分自身のうちに塩を持ちなさい。そして互いに平和に過ごしなさい」
20年以上前から東京拘置所の教誨師を務めている。天理教の教会を兼ねる自宅へ、出所後に遊びに来る人もいる。
宗教教誨とは宗教的思考や情操を基調として、被収容者(受刑者)を教化することだ。心情を安定させ、刑務官の負担を減らす役割が主となる。
ただ、現場では宗教に対するイメージは良くない。被収容者の間で「あいつは宗教に頼る弱い人間だ」とレッテルを貼られる恐れがあるからだ。
被収容者は「いい加減で適当」ができない人が多く、生きづらさを抱えている。「悪い人」ではなく「悪いことをしてしまった人」として接することが大事。スローガンの連呼が相手の心を閉ざしてしまうのは、どの宗派も共通している。
ある元死刑囚は「私は生まれてくるべきではなかった。事件を起こす起こさないではなく、『生』そのものが、あるべきではなかった」と語った。生死の問題をナンセンスだと言われると、宗教家の出番はないと思えてしまう。宗教教誨の課題である。
【用語解説】チャプレン(宗教全般)
主にキリスト教で、教会以外の施設・団体で心のケアに当たる聖職者。仏教僧侶などほかの宗教者もいる。日本では主に病院で活動しており、海外には学校や軍隊などで働く聖職者もいる。