2025年8月29日
※文化時報2025年6月10日号の掲載記事です。
手で触って楽しめる絵画を制作し、いつかは視覚障害のある人の支援につなげたいと考えている画家がいる。元日本臓器製薬(大阪市中央区)社員の小笠原弘樹さん(44)だ。会社の業務命令で参加した東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(東大EMP)で坐禅を体験し、自分自身を見つめ直した結果、退職して画家に転向。5月24、25の両日に京都市内の書店で開いた個展では、仏教思想を背景として描いた作品が並んだ。(大橋学修)
小笠原さんの作品は、キャンバスに絵の具を盛るように乗せ、削り取ったり磨いたりした上で再び着色するレリーフのような仕上がりが特徴だ。

月夜に跳ねたイルカが海面に潜る寸前の姿を描いた「奢(おご)り」は、偶然が重なって、八正道=用語解説=の「正見」からタイトルを導いた。
完成した作品を母親が誤って倒してしまい、レリーフ状になっているイルカの背中に亀裂が入った。その部分に、漆と金粉を使う陶磁器の修復技法「金継ぎ」を用いてみると、青色に金が映える美しい作品に仕上がった。
ただ、よくよく考えてみると、傷ついたイルカを美しく感じることの不条理に気付いた。「環境保護といいながら、人間本位の保全を行って、美しいと思うことは『奢り』でしかない。正しい目で見ることが大切だ」と語る。
2匹のエイが泳ぐ絵画「道」は、同行二人=用語解説=をイメージしている。孤独だと感じていても、見守る存在がいることを表現する作品だ。
小笠原さんは「私はいろいろな方に支えられ、見守られて生きている。見守っているのは、それらの集合体のようにも感じている」と話した。
小笠原さんが画家に転向するきっかけとなった東大EMPでは、イスラム教やキリスト教など世界の宗教も学ぶ。プログラムの中で小笠原さんは、臨済宗南禅寺派廣園寺(東京都八王子市)の小島岱山(たいざん)住職の下で坐禅や禅問答を体験し、自分のアイデンティティーが形成された背景に仏教的な思想があることに気付いた。
また、自らを見つめ直した結果、子どものころから描き続けた絵画の世界に自分の生きる道を見いだし、2023年7月に退職。画家に転向した。
小笠原さんの兄で、大阪大学大学院医学系研究科の小笠原一生准教授(46)も触発され、生まれ故郷にある龍王神社(広島県呉市)の例祭「小祭(こまつ)り」に登場する神域の守護者「やぶ」の面を作るようになった。
京都の漆職人の元に通って技術を学び、木地の彫刻から仕上げまでの全ての工程を1人で行った。いつかは面彫りに没頭したいと考えている。

「やぶ」の面は個展の2日目に展示され、来場者が手に触れて楽しんだ。小笠原准教授は「一般的に絵画などの芸術は、手で触れてはならないもの。弟の作品は視覚障害のある人だけでなく、子どもも体感できる点がいい」と話す。
小笠原さんが視覚に障害のある人が楽しめる作品づくりを意識したのも、東大EMPがきっかけだった。赤と緑の識別が困難な「色覚障害」のある天文学専門の岡村定矩東京大学名誉教授から、子どものころに見た空の美しさを聞き、一緒に参加していた学生にも色覚障害のある人が多くいたことを知った。自身の伯父夫婦が点字の書籍をつくるボランティアに取り組んでいることも背景にあった。
そして、色覚障害のある人に配慮する場合は、青を強調色として使うと、情報が伝わりやすくなると知り、青を基調とした作品を描くようになった。また、レリーフのような絵画を制作するようになったのも、手で触って感じられる作品にしたいと考えたためだった。
支援につなげる動きも始めている。個展に来た外国人観光客が作品を購入しようとしたとき、視覚に障害のある人の支援を目指していることを伝えた上で「作品の代金は払わなくてもよいので、その代金をあなたの国で必要とされる支援活動に寄付してほしい」と求めた。

すると、購入作品数を増やし、会員制交流サイト(SNS)を通じて発達障害のある人などを支援するリトアニアの活動団体「アベビタス(Avevitus)」に寄付したことを伝えてくれた。
小笠原さんは「今はまだ至っていないと思っているが、絵が芸術作品としての高みに達すれば、視覚障害のある人が楽しんだり、支援につながる作品づくりを行ったりしたい。そこに少しずつ近付いている気はする」と話している。
【用語解説】八正道(はっしょうどう=仏教全般)
苦を滅するために示された八つの実践方法。正見(正しい見解)、正思(正しい思惟)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行い)、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい思念)、正定(正しい精神統一)をいう。
【用語解説】同行二人(どうぎょうににん=真言宗)
一人で巡拝していても弘法大師が同道すること。常に弘法大師が守ってくれているという信仰を表し、四国八十八ケ所霊場などの巡礼で、笠(かさ)や杖(つえ)に書かれることが多い。