検索ページへ 検索ページへ
メニュー
メニュー
TOP > 福祉仏教ピックアップ > 『文化時報』掲載記事 > 「ご縁を見逃さない」日本初の盲老人ホームに学ぶ

つながる

福祉仏教ピックアップ

「ご縁を見逃さない」日本初の盲老人ホームに学ぶ

2024年8月28日

※文化時報2024年6月21日号の掲載記事です。

 高さ20メートルに及ぶ石像が境内に安置され、桜の名所としても知られる真言宗系単立寺院の壷阪寺(奈良県高取町)。実は、日本で最初の盲老人ホーム「慈母園」が設立された地でもある。先代住職の故・常盤勝憲さんは、周囲の反対を押し切り、境内にホームを建設した。現在は社会福祉法人として6カ所の施設を持つまでに発展。その経緯を、息子である常盤勝範住職(62)に尋ねた。(松井里歩)

 壷阪寺は703(大宝3)年、弁基大徳によって開かれた山寺。平安期には真言宗豊山派総本山長谷寺(奈良県桜井市)とともに観音霊場として栄えたが、火災や戦乱に巻き込まれ、明治期の廃仏毀釈=用語解説=によって荒れ果てた。

 そんな窮地を救ったのが、その後間もなく作られた浄瑠璃の演目『壺阪霊験記』だ。盲目の沢市と妻お里の夫婦愛に感心した千手観音菩薩が、2人を助け視力を回復させた物語。大衆に親しまれ、目の不自由な人や眼病封じの利益を求める人たちに信仰が広がっていったという。

宗教界から猛反対

 勝憲さんが慈母園を設立した経緯は、関西学院大学の小西律子氏が、勝範住職や設立当時を知る関係者らに詳細な聴き取りを行い、論文「日本最初の盲人専用老人ホーム『慈母園』の設立過程」にまとめた。その論文などによると、勝憲さんは当初、お寺を継ぐことに前向きではなかったそうだ。

奈良県の山間に位置する壷阪寺

 交通の便が悪く檀家もいない壷阪寺の復興は、スムーズにいかない。自身の僧侶としての道にも迷っていたある時、曹洞宗の良寛の教えに出会い、そこからハンセン病の療養所を運営する人物と知り合った。ハンセン病によって盲目となった患者らの姿を見て、「自分には福祉の仕事が適している」と感じたという。

 大正大学での学びを経て、副住職に就任。お参りに来る目が不自由な人たちの声を聞くうち、盲老人専用の施設建設への思いが芽生えた。そんな父の発願に、勝範住職は「自助と共助の境目が、ほとんどないような人だったのかもしれない」と話す。

 当時は老人福祉法などの法整備が不十分だった上に、お寺は本堂の屋根が老朽化している状態だった。「伽藍(がらん)を整えてからやるべきではないか」「境内という聖地に施設を建ててもいいのか」。お寺を差し置いて施設をつくろうとする勝憲さんに、宗教界からも反対や非難の声が相次いだという。

 それをものともせず、勝憲さんは資金集めに奔走。盲老人ホームの設立を認めてもらうべく、厚生省(当時)に通った。

 好意的な返事がもらえるまで足しげく訪れる僧侶に興味を持ったのが、当時社会局施設課で総務係長をしていた故・板山賢治さんだった。

 生前の証言によれば、板山さんは、日蓮宗総本山身延山久遠寺(山梨県身延町)の山内に1906(明治39)年、民間で最初のハンセン病療養所として「深敬園」(現在は障害者支援施設「かじか寮」)が開設されていたことを思い出した。身延山と同じく、目の不自由な人がお参りに来る壷阪寺にもこうした施設があっていいと考え、協力したのだという。

 勝憲さんの強い意志と行動力によって、1961(昭和36)年、境内の一角に「慈母園」が完成した。定員80人に対し従業員は親戚2人というスタートだったが、複数の障害を抱える高齢者らの生活を支えていった。

アクセスのしやすい場所に新築移転した慈母園

 約60年にわたり山内で運営してきたが、水道が通っていないことなどから、2021年6月、車で5分ほどの小学校の向かいに新築移転させた。

責任取る息子の意地

 そんな父と同様、「学生の頃にはお寺を継ぐつもりはなかった」と、勝範住職は言う。全く別の道を歩むつもりで米国へ留学に行き、自分のお寺が何宗なのかも知らなかったほど仏教に興味がなかったが、父が亡くなり、自身が長男だったことから、1989(平成元)年に住職に就任。社会福祉法人の理事長にもなった。

 施設の運営も、勝憲さんがつないできたインドとの国際交流も、父の時代と同じように「やめてしまえ」の声ばかりだった。当初は形だけ引き継いで再び米国に渡るつもりだったが、社会福祉に関する国の政策や法整備が緻密になる時期に差し掛かったこともあり、責任を持って取り組もうと思うようになったという。

常盤勝範住職

 それに伴い、真言宗豊山派や高野山真言宗など、これまで転々としていた宗派に所属することをやめた。宗派に属していては、最終的な責任を取るのがお寺や住職ではなくなると考えたからだ。単立寺院として運営するゆえんである。

 先代住職がつないできた縁を大切に、今も活動を続ける勝範住職。「私のやることではない」と理屈をつけてご縁を見逃すことは、しない方がいいと考えている。

 「父は、あるものを見つけ、ないものをねだらなかった人。もし盲老人ホームの開設を断っていたら、この歴史は全部ない」

 勝憲さんとは深く関わってこず、直接教えを受けたことも少なかったと話す勝範住職だが、あるご縁を大切にするという考えを胸に、今もさまざまな人々とつながり続けている。

【用語解説】廃仏毀釈(はいぶつきしゃく=宗教全般)
 明治政府の神仏分離政策によって引き起こされた仏教排斥運動。神社から仏教色を一掃するための政策が現場で過激化し、寺院・仏像の焼却や破壊などが相次いだ。

おすすめ記事

error: コンテンツは保護されています