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〈文化時報社説〉徳田虎雄氏の遺訓

2024年9月26日

※文化時報2024年7月26日号の掲載記事です。

 日本最大級の医療グループ「徳洲会」の創始者で元衆議院議員の徳田虎雄氏が10日、死去した。86歳だった。「生命だけは平等だ」との理念の下、「いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会の実現」を目指し、波瀾(はらん)万丈の人生を駆け抜けた。

社説・徳田虎雄氏
社説紙面

 毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人だった。少年時代、故郷の徳之島(鹿児島県)で幼い弟を亡くした経験を胸に、過疎地の医療の充実に尽力した。

 一方で現金の飛び交う激しい選挙戦を繰り広げて政界に進出。次男が出馬した衆院選を巡る選挙違反事件では、東京地検特捜部の強制捜査を受けた。

 一般紙(大阪本社発行版)各紙が、大きくもなく小さくもなく訃報を扱ったのも、人物評の表れと見ることができるだろう。必ず死を迎えるという点で平等なのに、生命は生きている人間の尺度で意味や価値を測られる。徳田氏とて、そうした人間の業から逃れることはできなかった。

 徳田氏は1975(昭和50)年の徳洲会設立当初から、患者からの贈り物を一切受け取らない方針を掲げ、「地獄の沙汰も金次第」という考え方と決別した。

 手術などに際して心付けを渡す慣習があった時代に、患者と家族が直面していたのは、いくら包めばいいのかという悩みだった。徳洲会と対立することの多かった日本医師会も、今では医師の職業倫理指針に謝礼を受け取ることを慎むよう明記しており、患者と家族は「お金を渡さなければ治してもらえない」という呪縛から解放された。

 こうした実例から仏教界が学ぶことがあるとするなら、お布施の在り方もまた変化し得るということだ。

 もちろんお布施は心付けではないが、相場と費用対効果の不明瞭なお金は出せないという常識が現代人にある以上、単純に本来の意義を説くだけでは納得されない。

 全日本仏教会と大和証券が行った「仏教に関する実態把握調査」(2022年度)では、お布施の金額についてお寺からの明示が必要と考える人が53.5%に上り、不要とみる人(18.4%)を大きく上回った。「お気持ち」ではもはや通用しない時代である。

 さらには世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の高額献金問題を受け、悪質な寄付勧誘を規制する「不当寄付勧誘防止法」が23年1月から順次施行されたが、仏教界にはお布施が「寄付や献金とは異なる」として、反発する声が根強い。

 お金をささげる相手が神仏であり、喜捨によって執着を離れるという利他行であることは理屈の上では正しくても、それをこじつけと受け止められる恐れは直視する必要があるだろう。

 時代の変化には、正負いずれの側面もあることを否定はしない。

 徳田氏が医師への一切の贈り物を排したことは、患者や家族から感謝を伝える手段を一つ奪ったとみなすこともできる。

 それでも、変化自体にはあらがえない。仏教界は、移り変わる社会から信頼を得ることに尽力しつつ、変えてはいけないことは貫くべきだ。すなわち「生命だけは平等だ」という理想を共有することである。

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