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「元ちゃんハウス」の原点学ぶ 東本願寺奉仕団

2024年10月30日

※文化時報2024年8月30日号の掲載記事です。

 真宗大谷派でビハーラ活動=用語解説=に取り組む僧侶らが真宗本廟(京都市下京区)に集う「東本願寺ビハーラネットワーク奉仕団」が、今年も境内の同朋会館で開かれた。講演会の講師には、がん患者と医療関係者らの交流拠点「元(げん)ちゃんハウス」(金沢市)を運営する認定NPO法人「がんとむきあう会」の理事長、西村詠子さん(65)を迎えた。参加者らは活動や患者に対する姿勢などの話を、熱心に聞き入った。(高田京介)

(画像①:がん患者が駆け込める地域の拠点の必要性を話す西村詠子さん)
がん患者が駆け込める地域の拠点の必要性を話す西村詠子さん

 奉仕団は毎年開催しており、今年で20回目。今回は、金沢教区の有志らでつくるビハーラかなざわの提案で講演内容が決まった。講義と班別の座談会を6月26日に、仏具を磨く「おみがき」とビハーラ活動に取り組む僧侶らの情報交換を翌27日に行った。

 元ちゃんハウスは、平日と第1土曜の午前11時~午後4時に開館。特別名勝・兼六園の南にある国立病院機構金沢医療センターと金沢大学付属病院の中間に位置し、4階建てビルを間借りして運営している。

 くつろぎとぬくもりを感じてもらおうと、オープンキッチンやテーブル、ソファなどが配置されている。日常の何げない交流ができるほか、専門職が常駐し主治医に聞けない相談などもできる。

 立ち上げのきっかけは、医師で夫の元一さん=58歳で死去=が胃がんと診断されたことだった。元一さんは、消化器外科でがん患者の治療に当たり、金沢赤十字病院の副院長を務めていた。1986(昭和61)年に看護師だった詠子さんと結婚した。

 元一さんはもともと2000年代に、病院から在宅へとがん医療の現場が移り変わる中で、患者の不安に注目する機会が増えてきたことを実感していた。10(平成22)年には英国のがん患者支援施設を知り、ロールモデルにしようとしていたという。

 そんな中、自身が胃がんとなったことで、日本にも患者と家族、医療者らが交流できる拠点をつくることを決めた。詠子さんは、「がん患者になったことで、しっかり聞く場をつくる決心がついたのだと思う」と振り返った。

駆け込み相談の場に

 元一さんは闘病しながら全国を駆け回り、200回以上講演して寄付金を募った。メディアの取材にも熱心に応じ、新聞の連載記事を執筆。それを見た地元の医療メーカーが、自社ビルの提供を申し出て、支援の輪が広がっていった。

(画像②アイキャッチ兼用:西村詠子さんの講演を熱心に聞く参加者ら=京都市下京区)
西村詠子さんの講演を熱心に聞く参加者ら=京都市下京区

 専業主婦になっていた詠子さんも「拠点をつくることになってからは、看護師資格のある秘書兼運転手として、あわただしい日々を送った」と語る。最終的に元ちゃんハウスは、16年12月に始動した。

 17年5月、元一さんは亡くなり、詠子さんが遺志を継いだ。「夫らしい最期だったと思う。(亡くなったことに)悲しさと腹立たしさはあったけど、引きずりたくない」と前を向いた。

 元ちゃんハウスはコロナ禍で利用者が減ったものの、今年は1300人の利用を見込む。詠子さんは「街の中で、相談に駆け込むことができる。そんな場所をつくる役割を、与えてもらった」と話した。

【用語解説】ビハーラ活動(真宗大谷派など)

 医療・福祉と協働し、人々の苦悩を和らげる仏教徒の活動。生老病死の苦しみや悲しみに寄り添い、全人的なケアを目指す。仏教ホスピスに代わる用語として提唱されたビハーラを基に、1987(昭和62)年に始まった。ビハーラはサンスクリット語で「僧院」「身心の安らぎ」「休息の場所」などの意味。

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