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「文化時報」コラム

〈3〉財布

2025年2月15日

※文化時報2024年10月22日号の掲載記事です。

 ある日、天王寺駅近くの花壇に腰掛けていたら、少し離れた場所に黒っぽい革財布が落ちているのを見つけた。

生き直し―非行・自傷・依存と向き合って―サムネイル

 セコい人間の私は、中にいくら入っているのか気になった。近づき方もセコくて、周囲に落ちている財布を拾っているのがバレないよう、花壇を背にしてカニのように横歩きし、後ろ歩きで財布に近寄った。それを振り返りもしないで後ろ手で拾い上げ、すぐ服の下に入れ込み、急いでトイレへ向かった。

 個室に入って中身を確認したら、なんと1万円札が4枚、4万円も入っていた。頭の中に一瞬、このままくすねてしまえば服やらカバンやら欲しい物が買えるやん!という気持ちに襲われた。

 しかし、しばらくそんなことを考えているうちに自分の中に込み上げてきたのは、自助グループの仲間たちのことだった。

 私は普段、ミーティングで仲間たちからたくさんのもの︱経験を通した苦悩や悲しみ、喜び、ありがたさ、涙など︱を分けてもらっている。あふれるような感謝や愛を感じられるような関わりを、仲間たちはしてくれる。私はそんな仲間たちとのつながりを通して、豊かさでいっぱいにしてもらっている。

 お天道様にちゃんと顔を上げて生きられる自分でいたい!

 99%は正直に生きるけど、1%だけ噓(うそ)をついて生きるのは本当にしんどい。自分の中に湧き起こる後ろめたさに、これ以上あえて後ろめたさを重ねるような生き方を選ぶのは、やめたい!

 たしかに財布を警察に届けたら服もカバンも手に入らないが、物理的な欲求を満たすために後ろめたさを抱くことは、もうやめにしたい―。そう思えたとき、躊躇(ちゅうちょ)なく財布を警察に届けている自分がいた。

 その時感じたのは、法律や常識を学んだから正しい行いをしたのではなく、ずるいことを選んで苦しむ自分が嫌だったから、結果的に正しい行いをしたにすぎない、ということだった。

 自分の中にはずっと、後ろめたさを感じる良心の声のようなものが息づいていた。ただ、それに耳を貸せなかった。良心の声が聞こえない自分になっていた。

 仲間たちとの出会いやつながりは、私を今一度、良心の声を聞ける人間に変えてくれた。自分に噓をついたりズルをしたりしたときに、後ろめたさを感じられる感性を取り戻させてくれた。私にとっては、これが生きる指針となっている。

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