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「文化時報」コラム

〈7〉境界線(下)

2025年4月20日

※文化時報2024年12月17日号の掲載記事です。

 刑務所の独房での生活で、まず自分自身が生きることを最優先にしたときは、残酷に思えたけど、自分の中からあらゆるものを排除した。そうやってしか生きられない自分自身を痛感した。

 苦悩しかない日々を通して、初めて境界線が他の誰かではなく自分の側にあるのだと実感した。あまりにもいろんな感情や人を自分の中に入れてしまうと、自分が自分でいられないくらいフラフラになる。

 自分が自分でいられるためには、私にもこれ以上入ってきてほしくない自分のスペースみたいなものがあるんだと実感した。

 悪い頭で考えたのは、そもそも境界線は二つ以上のものがあって初めてそこに生まれる、ということだった。二つ以上のものを、それぞれ区別するためにあるのが境界線。もしかしたら、これまでの私には自分というものがなかったから、境界線を自覚するどころか、元々境界線さえなかったのかもしれない。

 逆にいえば、自分自身をちゃんとつくっていくことを通して、人に言われなくても境界線は現れる。私が私でいるために、自分にとって必要なものが境界線であると分かった。

 もう一つ、人生においていろんな人たちと出会い、お互い大切にし合えるけど、この世に生を受け、生きて、そして死んでゆくプロセスは、自分にしか負えない。境界線を認めていくことは、それを徹底して見ていくことに他ならなかった。

 孤独だった。

 ただその孤独があったから私は初めて正直になれた。孤独でたまらないから誰かと出会いたいし、ほんの少しでも優しくし合える時間を持ちたいと思った。

 孤独は私の鉄壁を打ち砕いて、自分自身に正直になること、正直に生きることを教えてくれた。そして何よりも自分自身を介した他者ではなく、私と切り離された別の存在として他者を見ていくこと、他者を愛するということを学んでいく道だった。

 初めて愛されるよりも愛したいと考える日々が、そこにはあった。

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