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「文化時報」コラム

〈79〉〝Lost and Found〟の奇跡

2025年4月26日 | 2025年4月27日更新

※文化時報2025年2月14日号の掲載記事です。

 2025年の年明けから1カ月余り、再審法改正に向けた国会、法務省双方の動きが加速する中、京都と東京を往復する頻度も右肩上がり状態となってきた。

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 人間の体は移動した距離を認識しているらしく、移動距離に比例して疲労が蓄積するという。京都―東京間は片道約500キロなので、週に3往復すると約3千キロを移動することになる。毎週日本列島を縦断しているようなものである。疲労困憊は当然の帰結と言うべきか。

 疲れがたまると、思わぬところにミスが出る。1月最後の週、3泊4日の東京出張を終えてようやく京都駅に降り、乗車券がひも付けされたスマートフォンを改札にかざそうとしたところ、スマホがないことに気付いた。

 背中に冷たい汗が流れる。かばんの中をくまなく探しても見つからない。これは座席に置き忘れてきたと悟り、新幹線乗り換え改札口の係員に事情を説明する。何しろ、スマホがないと改札を出ることさえできないのだ。

 乗車していた新幹線の予約情報が特定されたため、出場専用の臨時の切符を渡され、「八条口の横に遺失物の案内所があるから、そこに行ってください。でも、新幹線が新大阪を出てしまうと、JR西日本の管轄になるから、もうそこでは対応できないかもしれません」と言われた。うなだれつつも八条口の案内所に向かった。

 カウンターで「今乗って来た新幹線の座席にスマホを置き忘れてしまったようです」と申告したときである。私と入れ違いに案内所から出て行った外国人観光客4人組が、再び入ってきて何か大騒ぎを始めた。

 最初は自分と関係ないと思っていたのだが、そのうちの一人が係員に「ほら、今預けた、あのスマホよ!」と英語で言い、その現物を私に見せた。私のスマホだった―。

 4人組は新幹線を降りるときに座席にあった私のスマホを見つけ、わざわざ届けてくれたのだ。でも、その持ち主が私だということがどうして分かったのだろう。

 「あなたが、赤い帽子をかぶっていたのを覚えていたの!」と4人組の一人の女性がほほ笑んだ。思わず彼女とハグしながら、何度もお礼を言った。

 赤いベレー帽をかぶっていなければ、そして4人組の一人が私のベレー帽を覚えてくれていなければ、スマホが戻ってくるまでに何日もかかっていただろう。

 4人組と別れ、係員にもお礼を言って案内所を出て振り返ると「遺失物案内所」の文字の下に英訳で〝Lost and Found〟と書かれた文字を見つけた。

 〝Lost and Found〟の奇跡は、多忙と疲労で凍り付いていた私の心を解かす、温かな春風のようだった。内外ともに困難な時代、人間の本質はかくあるものだと信じたい。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部に続いて最高裁が25年2月、請求を棄却した。

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