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「文化時報」コラム

⑩ゆく年くる年

2022年11月11日

※文化時報2021年12月16日号の掲載記事です。

 ゆく年もあとわずか。この季節になると、必ず思い出すシーンがある。

ヒューマニズム宣言サムネイル

 16年前、弁護士になって初めて担当した少年事件。事件を起こしたのは、当時19歳の女子大学生だった(少年事件の「少年」には女子も含まれる)。成績優秀な姉とスポーツ選手の弟に挟まれた彼女は、コンプレックスから高額の化粧品を買うために援助交際でお金を稼ぐようになった。その過程で知り合った成人男性に恋心を抱き、その男に言われるがままに「美人局(つつもたせ)」の片棒を担がされた。 

 彼女がホテルで客の相手をしているところに、男が踏み込んで「俺の女に手を出したな」と脅迫して金を巻き上げる。男は「いつか2人で住む家を買うため」と彼女に説明していた。彼女はその言葉を信じ、男のために何度も美人局をやり、計4件の恐喝、強盗致傷の共犯者として逮捕された。 

 男は北九州の警察署に勾留されたが、未成年者だった彼女は両親のいる鹿児島家裁で少年審判を受けることになり、私が付添人となった(少年事件では弁護人ではなく「付添人」という)。彼女はなかなか私に心を開かず、「仕事として援助交際をやっている。何が悪い?」と突っ張る一方で、くだんの男の言葉を信じ切っていた。 

 そこで私は片道5時間かけて北九州の警察署の留置場に行き、男に面会して真意をただした。なんと男は彼女に本名さえ明かしていなかった。私は「大人の責任として、彼女をだましていたことを認める手紙を書いて」と男に迫り、書かせた手紙を携えて鹿児島に戻り、少年鑑別所の彼女に渡した。彼女は何度も何度もその手紙を読んで大粒の涙を流し、「私のために彼に会いに行ってくれてありがとう」と声を振り絞った。 

 それからの彼女の変化と成長には目を見張るものがあった。少年審判では裁判官の前で自らを冷静に振り返り、立ち直りを約束した。 

 1年後の大みそか、誰もいない事務所で一人仕事をしていると、玄関ドアをノックする音がした。そこには少年院を退院し、デパートに勤め始めたという彼女が立っていた。「先生にひと言お礼が言いたくて」と。 

 「少年」たちを立ち直らせるのは厳罰ではなく、真剣に向き合う大人のまなざしである。来る年が「少年」たちに輝く未来をもたらすよう、大人たちによる見守りの輪を広げたい。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。弁護団は即時抗告し、審理は福岡高裁宮崎支部に移った。

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