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「文化時報」コラム

〈84〉認知症と心の世界

2025年7月20日

※文化時報2025年4月25日号の掲載記事です。

 「認知症にだけはなりたくない」。そう話される方は少なくありません。認知症に対しては「怖いもの」「避けたいもの」といった印象が、今なお根強く残っているようです。

傾聴ーいのちの叫び

 かつて一緒に働いていた医師は「認知症は、人間の最も優れた防衛本能の成せる業だ」と言っていました。人が老い、病み、そして死を迎えることは、決して楽なことではありません。思うようにならないことばかりで、その一つ一つに真正面から向き合おうとすれば、とても苦しくなります。緩和ケア病棟にも、そうした苦しみの中に身を置いておられる患者さんがたくさんいらっしゃいます。

 けれど、その中に、日々穏やかに、ゆったりと過ごしておられる方々もいます。ご自分の病気のことも、年齢のことも、面倒事は全てあっちへ片付けてしまって、ただ、目の前の出来事に喜び、時に怒りながら、今という時間をしっかりと生きていらっしゃる。そのお姿を拝見するたびに、あの医師の言葉が思い出され、すとんと腹に落ちていくのです。

 私たちの心には深さがあって、それはまるで海のようだと感じています。喜んだり、怒ったり、嘆いたりと、ばちゃばちゃと波立つのはごく浅いところ。少し潜れば、理屈や理論や理性を張り巡らせて波を抑え込もうとする思索の層があります。

 一見静かに見えても、ここにはさまざまな欲が渦巻いていて、一触即発で波立つ危うさをはらんでいます。また、海面を通して外からいろいろなものが落ちてくるため、時に視界が濁ってしまうこともあります。

 けれど、さらに深く潜っていくと、そこはもう日の光も届かず、雑多なものも落ちてこない、ただただ静かで、しんと「在る」世界が広がっています。

 認知症の方が今いらっしゃるのは、まさにその静かな深海なのではないでしょうか。なにものにも邪魔されず、ご自分自身で「在る」ことができる場所。実は、あの方々こそが「在る」ことの真理に最も近くいるのかもしれません。

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