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「文化時報」コラム

〈104〉予期悲嘆から思うこと

2025年8月18日

※文化時報2025年6月3日号の掲載記事です。

 グリーフ(悲嘆)ケア勉強会でのことです。

 ある医療従事者の方が、ご友人の重い病気について話されました。今までと何ら変わらない生活をされているのに、そのうちに病気が進行して、お別れの日がそんなに遠くないという悲しみの気持ちも語られました。

 それを聞いていたある仏教者が言いました。「ご友人が先に亡くなる前提での話だが、失礼ながらあなたが先になることもあるだろう」と。現実はそうなんですが、お話をされた人の気持ちに寄り添う勉強をしているのです。よくあるパターンの出来事なので紹介してみました。

 私はその場にいてふと気が付きました。医療従事者はたくさんの患者さんの経過をみています。今は元気にしている人も、病気がみるみる進行していくケースは多くあります。だから、予期悲嘆も大きくなるんだろうなということです。

 予期悲嘆とは、患者が亡くなる前に、それを想像して家族などが体験する喪失感のことです。終末期の患者の家族に多くみられます。その悲しみの感情を吐き出している人に対して正論を言っては、寄り添いではなく突き放すことになりましょう。

 昨今の終末期ケアの現場では真逆なことも起こります。医療の専門職は近い将来に起こる患者の変化が予想できますから、その前に行動しようとします。それに対して家族が「不吉なことは言わないでちょうだい」と、専門職を排除しようとしてしまうのです。特に訪問看護師はつらい立場になるでしょう。

 この複雑な気持ちになってしまう家族のそばに寄り添うのは宗教者が適していると、私は常々申し上げています。医療従事者でもなく、家族(親族)でもなく、それでもその家の事情はよく分かっているとしたら、菩提寺(ぼだいじ)でしょう。

 地域によれば町会役員などもそれに当たるかもしれません。が、終末期ケアは菩提寺の重要な役目ではないでしょうか? 

 医療の専門職と交流しましょう。機会はたくさんあります。医療側はウェルカムです。ただし、正論はご法度。耳を傾ける謙虚な気持ちが大事でしょう。

 

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