検索ページへ 検索ページへ
メニュー
メニュー
TOP > 『文化時報』コラム > 福祉仏教の現場から > 〈105〉傾聴は大事だけれど

読む

「文化時報」コラム

〈105〉傾聴は大事だけれど

2025年9月3日

※文化時報2025年6月17日号の掲載記事です。

 毎年6月になると上智大学グリーフケア研究所人材養成講座(大阪サテライトキャンパス)で講義を行います。社会人向けの講座で看護師、社会福祉士、教員などさまざまな職業の受講生がいます。2020年以降はずっとオンラインなので、30名弱の受講生の顔がほとんど印象に残りません。熱心に聞いてくれているのだとは思いますが、相手の反応が見えないのは不安なものです。

 授業とは別に臨床実習にやってくる受講生もいます。こちらはマンツーマンで指導に当たります。私としてはやりがいがありますが、実習生には重すぎる時間かもしれません。

 毎年毎年実習生には同じことを繰り返して伝えることになります。「傾聴のつもりが尋問になっていますよ」と。

 傾聴と尋問の違いは明白です。傾聴は相手の苦悩に耳を傾けることで、尋問は記録を取るために質問することです。「実践したことをレポートに書くのであって、レポートを書くための実践では相手に申し訳ないでしょうが」と、少し厳しい指摘をすることもあります。相手の苦悩に耳を傾けるというのは、実はとても難しいのです。

 「自分のことを分かってほしい」という欲求は多くの人が持っているはずです。にもかかわらず「かまわないでくれ」という人も珍しくありません。それは「どうせ分かってもらえない」という裏返しではないでしょうか? だからこそ「分からないかもしれないけど、分かろうと耳を傾ける」ことが大事でしょう。

 観音菩薩は救いを求める者の身分や境遇にあわせて33の姿に変化するそうです。煩悩具足のわが身ではそんな変化はできません。苦悩する人を救うことはとうていできませんが、せめて聞かせてもらうことはできるでしょうか? 相手の苦悩を素直に聞くことができず、自分勝手な解釈で「分かった」気になるだけでしょうか?

 そうかもしれませんが、耳を傾けずにはいられないのです。根っからのおせっかいな性分なんですね。困ったことに。

同じカテゴリの最新記事

おすすめ記事

error: コンテンツは保護されています