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「文化時報」コラム

〈90〉「なぜ生きるのか」

2025年10月14日

※文化時報2025年8月8日号の掲載記事です。

 今日は「体」「心」「スピリチュアリティ」の関係に目を向けてみましょう。

 体が痛む。心が痛む。そして、存在の根底が揺らぐ。どれもつらいのですが、まず取り組むべきは、「体」「心」のケアです。

傾聴ーいのちの叫び

 けれど、どれほど「体」が整い、「心」が落ち着いたとしても、「スピリチュアリティ」が崩れたままでは、安らかに生きることはできません。

 30年前、私が看護師になったばかりのころ、末期がんの現場は、痛みとの闘いでした。緩和ケアの技術がまだ十分ではなく、患者さんは痛みに呻(うめ)きながら耐えるしかなかったのです。それこそ「スピリチュアルペイン」どころではありませんでした。痛いか、痛くないか。それが人生の全てを支配していた時代でした。

 それが今、緩和ケアの進歩によって、多くの痛みを和らげることができるようになりました。

 でも、がんが治るわけではありません。命は確実に終わりへと向かっていきます。そのとき、患者さんは、痛みとは別の、もっと深い問いに向き合うことになります。

 「私は、なぜ生きるのか」

 「私は、何のために生きてきたのか」

 「なぜ死ななければならないのか」

 この問いが立ち上がってくるとき、それがスピリチュアルペインの始まりです。

 「マズローの5段階欲求」をご存じでしょうか。生理的欲求、安全欲求、そしてその先に、愛や承認、自己実現があります。やはりまずは、生理的欲求・安全の欲求の充足が必須です。でも、それだけでは幸せになれないのが、人という存在。

 現在の医療・看護・介護福祉の現場は、30年前に比べて、体と心のケアは格段に進みました。そのぶん、スピリチュアルペインを抱える患者さんが増えています。

 特に終末期。

 「どうせ死ぬのに、今日を生きている意味が分からない」

 「早くお迎えがきてほしい。早く死にたい」

 「もう、いっそ殺して!」

 そんな言葉を口にせずにいられない方が増えている。私たちはその苦しみを、見て見ぬふりしてはいけません。

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