2025年10月27日
※文化時報2025年8月26日号の掲載記事です。
昨年のお盆、猛暑の中をお墓参りしようとする母を止めました。すると今年は代わりにお参りしてほしいと言われ、一人で菩提寺(ぼだいじ)に向かいました。やはりお盆のさなかなのでたくさんの人がいました。

自法人の職員の何人かに「お盆にお墓参りに行きますか?」と尋ねてみました。お盆には必ず参るという人とお盆は避けてお彼岸に参るという人に二分され、お墓参りはしないという人は誰もいませんでした。ほんの一部の職員に尋ねただけですが、「さすがに仏教系福祉事業所(ビハーラ)だけのことはあるなぁ」、と勝手に納得してしまいました。ただし、「先祖供養=仏教」ということでもないので少し複雑な気持ちでもあります。
「親を連れていくので」という職員が何人かいました。自らの意思というより、親が心配だからということでしょう。それは私の場合に近いですね。
わが国は「先祖供養」という宗教観がかなり根強い証拠でありましょう。浄土真宗のお寺で最も大きな法要は報恩講です。でも報恩講よりも盂蘭盆会(うらぼんえ)の方がお参りされるご門徒さんが多いというのが近年の傾向となっているのでしょう。
中学生のときから覚醒剤を使用しているという女性に出会いました。少年院や刑務所に何度か入ったそうです。その女性は「今までの人生を後悔はしていない。でも、これからは生まれ変わったつもりで暮らしたい」と言います。お寺の盂蘭盆会法要に一緒に行きました。初めて踏み入るお寺の世界に、女性は何もかもが珍しく映ったのでしょう。
「住職って何する人なの?」と尋ねるので「このお寺の社長ですね」と説明しました。「一列に並んでいるお坊さんは何?」には「このお寺で勉強している人ですね」と答えました。すると「ああ、舎弟ね」と返って苦笑い。生まれ変わったつもりで暮らすのは困難が多そうです。
それでも女性は「南無阿弥陀佛」と熱心に唱えていました。今のいのちを生きながら、生まれ変わることができると思います。