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「文化時報」コラム

〈115〉子牛の先生⁉

2026年1月25日

※文化時報2025年11月25日号の掲載記事です。

 昨年に引き続き三重県松阪市・西弘寺さんの報恩講に出講させていただきました。初めて訪れるお寺は様子が分からないのでドキドキしますが、2回目となると雰囲気が分かっているありがたさが身に染みました。

 一般家庭で生まれ育ち40を超えてから得度した私は、どんなにがんばったところで「お寺の子」として生まれた気持ちを理解することはできないのです。ある人は「公民館の中で生活しているようなもの」と教えてくれました。知らない人が家の中をウロウロしている感覚は経験した人にしか分からないでしょうね。

 私がお伝えする法話は、医療や司法の現場で起こっていることを紹介し、親鸞聖人のお言葉を引用するというスタイルにしています。お集まりくださったご門徒の皆さんには、医療現場で起こっていることはわが身に置き換えやすいでしょう。

 しかし、司法現場の話となるとどうでしょうか?

 自分がいつ被害に遭うかもと聞いてくださればいいほうで、自分が加害者になるなどは想像もできない方が大半でありましょう。もっとも、大多数の方は刑事司法において有罪判決を受けることなく一生を過ごされるのでしょうが。

 ある障害福祉事業者の方からお電話をいただきました。利用者さんが警察から事情聴取されることになったので同席できないかというご相談でした。

 心配される気持ちは分かりますが、弁護士の同席も拒まれることがあるのが実情です。善良な市民と思われているうちは優しいのですが、容疑がかかるとたちまち厳しい対応になるのが警察です。治安維持の使命があるのですね。

 病院で亡くなった方のことでも警察から事情を尋ねられることはあります。自分は「善人」のつもりで答えていても相手はそう思っているのかは分かりません。親鸞聖人のお言葉はそんなところにも通じています。

 「子牛の先生バイバイ」と小さな女の子が手を振って見送ってくださいました。西弘寺住職さんの娘さんです。「講師」を「子牛」と聞き違えられたようです。ご家族だけでなく多くのご門徒さんに愛されて育っていく姿を見た気がしました。

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