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「文化時報」コラム

〈12〉京の冬の旅

2022年11月27日 | 2024年8月28日更新

※文化時報2022年2月4日号の掲載記事です。

 年が明けて早くも1カ月が経過した。1月は東京、大阪で各1回、京都で3回の合計5回の講演に登壇し、テレビや雑誌のインタビュー取材を受け、そして大崎事件第4次再審を審理する鹿児島地裁の法廷で、弁護団が総力を注いで作成した最終意見書の内容をプレゼンテーションするという大役も果たした。これらの準備と、東京、関西、鹿児島間を行き来する長距離移動に、肉体のみならずメンタルも悲鳴を上げそうになっている私を救ってくれたのは、京都の街だった。

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 鹿児島で30年暮らした後、初めて過ごす京都の冬の寒さは格別である。今年は何度か雪にも見舞われている。しかし、せっかく京都に住まいを移し、歴史と文化にあふれるこの街を気軽に歩けるのだから、この際寒いなどと文句を言っている場合ではない。多忙な仕事の合間の「隙間時間」を見つけて、半日とか数時間単位での「ミニ遠足」を始めた。

 手始めに訪れたのは、自宅から歩いて往復できる伏見稲荷大社。全国3万社あるとされる「お稲荷さん」の総本宮である。今や世界的なフォトスポットとなった千本鳥居をくぐり、稲荷山を一周するぜいたくな遠足となった。 

 京都では観光客の少ない冬にこそディープな旅を楽しんでもらおうと、「京の冬の旅」というキャンペーンを毎年行っていて、普段は公開されていない庭園や文化財などを特別公開している。〝京都初心者〟の私には絶好の企画で、パンフレット片手にあちこちのお寺にお邪魔させていただいた。 

 真言宗御室派総本山仁和寺では、18年ぶりの公開となる御殿・庭園を回遊し、苔生(こけむ)した斜面に木漏れ日の織りなす模様を愛でた。浄土宗報恩寺では寅年にだけ公開される「鳴虎」の掛け軸と対面した。豊臣秀吉が聚楽第(じゅらくだい)に持ち帰ったところ一晩中虎の咆哮(ほうこう)に悩まされ、やむなく寺に返したといういわく付きの掛け軸だ。 

 茶道織部流の祖・古田織部ゆかりの寺で、何と40年ぶりに本堂と茶室が公開された臨済宗興聖寺派本山の西陣興聖寺では、らせん状の石段を降りた先に手水(ちょうず)鉢を据えた「降り蹲踞(つくばい)」に目を見張った。臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭(たっちゅう)・聚光院では、千利休の作庭とされる「百積(ひゃくせき)の庭」が雪に縁取られ、静かな輝きをたたえていた。 

 普段使いの感覚で楽しめる「京の冬の旅」。それは私にとって、しんどいときでもすぐ立ち寄れる癒やしの場所だった。法律、行政、医療、福祉、宗教をバリアフリー化して、そんな場所を作れたら…と思う。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。弁護団は即時抗告し、審理は福岡高裁宮崎支部に移った。

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