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「文化時報」コラム

⑱桜が彩る人生の扉

2023年1月31日

※文化時報2022年4月29日号の掲載記事です。

京都に移籍して2度目の春を迎えた。昨年の春は、鹿児島の事務所を整理し、移籍に伴うさまざまな雑務に忙殺されていたため、顔を上げて桜の花を愛(め)でる気持ちのゆとりがなかった。京都には桜の名所がそこかしこにあるのに、桜を見た記憶がないのだ。

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しかし、今年の春は違った。3月末から4月初めにかけて、金沢、東京、富山と講演や集会での移動が続き、それなりに忙しかったけれど、各地でさまざまな表情を見せる桜を堪能した。

金沢城跡や兼六園ではまだつぼみだったが、弁護士会の会合で訪れた東京・霞が関では日比谷公園の桜が満開だった。休日に訪れた奈良では、藤原宮跡の桜と菜の花の競演、安倍文殊院の金閣浮御堂と文殊池を彩る満開の桜、宇陀市のしだれ桜の古木「又兵衛桜」の息をのむ美しさに心洗われた。

生まれて初めて訪れた富山では、どこもかしこも桜が満開だった。車窓から眺めた銀色に輝く立山連峰の麓を桜がピンクに染め上げる情景が、まぶたに焼き付いて離れない。

そして、今や「普段使い」で桜を楽しめる地元となった京都では、南禅寺、龍安寺、仁和寺で終わりゆく桜吹雪のシャワーを浴びた。

竹内まりやが52歳の時に自分の思いを歌った「人生の扉」に、こんなフレーズがある。

「満開の桜や 色づく山の紅葉を この先いったい何度 見ることになるだろう」

今年の9月に還暦を迎える私にとって、今年の桜は50代の最後に見た桜ということになる。この歌がリリースされたのは15年前で、私は45歳だった。くだんのフレーズは、その時とは比べものにならない重さをもって心に響いてくる。

私が生まれた1962年は、イギリスでビートルズが結成され、冷戦下のアメリカとソ連との間に「キューバ危機」が勃発し、あわや核戦争という一触即発の事態となった年である。ケネディ大統領もビートルズのジョン・レノンも、世界中にその名をはせながら、小さな鉄の玉(銃弾)によって突然その人生の扉を閉ざされた。生きて次の春を迎えるということが、決して当たり前ではないことを知った人間は、命あるうちに、あとどれだけのことができるか、指を折らずにはいられない。

1962年は、日弁連(日本弁護士連合会)が、初めて再審法改正案を世に問うた年でもある。先達が60年たっても実現できなかった悲願の達成が、この年に生まれた私に与えられた使命なのかもしれない。

散り敷かれた桜のじゅうたんは、新たな人生の扉を開く旅へと続いている。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。弁護団は即時抗告し、審理は福岡高裁宮崎支部に移った。

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