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「文化時報」コラム

〈25〉「令和太平記」の予感

2023年3月20日 | 2024年8月28日更新

※文化時報2022年8月19日号の掲載記事です。

 ここのところ、大崎事件の弁護活動と再審法改正の実現に向けた各地での講演、執筆に忙殺される日々が続いている。常にまなじりを決し、眉間に皺を寄せ、髪を振り乱しているからか、最近ではインタビューなどで「たまには息抜きしていますか?」「気分転換としてやっていらっしゃることはありますか?」と尋ねられることが多い。

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 実は、ここ数カ月、自宅で過ごす休日にはひそかな楽しみがあった。私が20代の頃の1985(昭和60)年に、NHKで「新大型時代劇」として1年間放映されたドラマ「真田太平記」の全編が収録されたDVDボックスを購入し、夜ごと熱中して見ていた。

 言うまでもなく、池波正太郎原作のドラマ化であるが、真田信之、幸村兄弟に渡瀬恒彦と草刈正雄、2人の父である昌幸に丹波哲郎という豪華配役で、脇役も名優たちが固めている。現代であればCGで処理したであろう合戦のシーンも大掛かりリアル撮影で迫力があり、制作から37年たっても色あせぬ名作である。

 武田、上杉、北条、豊臣、徳川といった巨大勢力に翻弄(ほんろう)されながら後の世に語り継がれるほどの戦果を挙げ、家族で敵味方に別れる事態となってもなお、互いを敬愛する真田ファミリーのとりこになった私は、昌幸、幸村父子が関ケ原の戦い後に配流された高野山の蓮華定院と、その麓に位置する九度山を7月初めに訪れた。

 上州(群馬県)と信州(長野県)を手中に収め、徳川軍を2度にわたり撃退した上田城を築いた昌幸が、故郷を遠く離れたこの地で生涯を終えた無念に触れた私は、さらにその1カ月後、自ら車を運転して上州沼田、信州上田など、真田ゆかりの地を訪ねる旅に出た。もはや「推し活」状態である。

 それにしても、真田家の激動の歴史を描いたドラマのタイトルが、なぜ「太平記」なのだろう。そういえば、75年に放映された大河ドラマ「元禄太平記」も、血で血を洗う合戦が遠い昔となった元禄時代の人々を震撼(しんかん)させた、赤穂義士の討ち入りがテーマだった。

 そもそも、これらのタイトルの基になった「太平記」は、鎌倉幕府の滅亡から南北朝の分裂という、およそ「太平」という言葉とはかけ離れた時代を描いた軍記物である。これらの物語にあえて「太平記」と名付けた意図は、現実を突き放した皮肉か、それとも実現することのない「太平」への願いなのか。

 大規模自然災害や、克服できない疫病に直面し、かつての宰相が白昼凶弾に倒れる今の時代も、いつか「令和太平記」として描かれるかもしれない。旅の途中で、ふと気持ちが曇った。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁で審理が行われている。

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