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「文化時報」コラム

㉟日野町事件に思う

2023年6月18日

※文化時報2023年2月24日号の掲載記事です。

 鹿児島から京都に移り住んで、初めて存在を知った野菜の一つに「日野菜」がある。滋賀県日野町発祥のカブの仲間だそうだが、形状は細長い大根といった感じで、上部から葉にかけての美しい紫色が目を引く。漬物にすると、程よい苦みと辛みの奥に、ほのかな甘みを感じる。歯応えも良い。

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 ところで私は、日野菜より先に「日野町」という地名を知っていた。この町で1984(昭和59)年の暮れに発生した強盗殺人事件の名前になっていたからである。

 被害者は酒店の女性店主。捜査は難航したが、事件から3年以上もたって、警察はその店の常連客だった阪原弘さんを任意同行して追及した。阪原さんはお金欲しさに女性店主を絞め殺したと自白し、逮捕された。逮捕後、阪原さんによる犯行の再現や、奪った金庫を捨てた場所に警察官を案内できたとする「引当捜査報告書」も作られた。

 起訴された阪原さんは、警察から暴行を受けたり、「娘の嫁ぎ先や親戚の所に行って、ガタガタにしたろか」などと脅されたりしてうその自白をしてしまったと無実を訴えたが、裁判では強盗殺人罪で無期懲役刑を言い渡され、確定した。

 しかし、この事件には阪原さんの自白以外に有力な客観証拠はなかった。店の中に阪原さんの指紋があったとか、店の近くで目撃されたと言っても、常連客であれば不思議はない。また、阪原さんは軽度の知的障害を持つ「供述弱者」だった。

 阪原さんは日弁連の支援を得て再審請求を行ったが、2006(平成18)年3月、大津地裁(長井秀典裁判長)は再審を認めなかった。その後、大阪高裁での審理中に、阪原さんは獄中死してしまった。

 阪原さんの無念を晴らすべく、遺族が申し立てた第2次再審で、ようやく開示されたネガフィルムから、阪原さんが金庫を捨てた場所に警察官を案内できたとされた引当捜査報告書に貼られていた写真は、大部分が「帰り」に撮られていたものを、「行き」に撮ったもののように偽装されていたことが判明した。大津地裁(今井輝幸裁判長)は、このような捜査機関の態度を厳しく批判するとともに、阪原さんは捜査機関の誘導により虚偽の自白をした可能性を認め、再審開始を決定した。2018年7月のことである。

 しかし、この決定を不服として検察官が大阪高裁に抗告したため、審理は続き、亡くなった阪原さんの名誉はいまだ回復されていない。

 この2月27日、大阪高裁が日野町事件の再審を認めるかどうかの決定を出すと報じられた。すでに開始決定から4年半以上が経過している。

 食卓を囲み、日野菜の漬物を食べていたかも知れない家族のだんらんの日々が、冤罪で奪われてから35年。次の決定が遺族の心に安らぎをもたらすよう、願わずにはいられない。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁で審理が行われている。

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