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「文化時報」コラム

㊲「同志」との抱擁

2023年7月8日

※文化時報2023年3月24日号の掲載記事です。

 3月13日午後0時半、私は東京高裁の正門前に到着した。次第に雨足が強まる中、すでに200人を超える群衆が門前に詰め掛けていた。この日の午後2時に出される袴田事件の決定を待つ人々である。

ヒューマニズム宣言サムネイル

 たくさんのマスコミ関係者、支援者たちに交じって多くの知り合いの顔が見える。再審無罪を勝ち取った東住吉事件の青木惠子さん、湖東記念病院事件の西山美香さん、映画監督の周防正行さん、ジャーナリストの江川紹子さん―。皆、口々に「再審開始は間違いないと思うけど、裁判所のすることだから最後まで分からないよね」などと言い合い、徐々に緊張が高まる。

 午後1時45分、このコラムの13回(2022年2月18日号)と14回(同3月4日号)に続けて書いた「姉と弟」の「姉」である袴田ひで子さんと弁護団が、決定書を受け取るために東京高裁の建物に入って行った。その後ろ姿に、さまざまな場面が脳裏をよぎった。

 14年3月27日、静岡地裁で袴田事件の第2次再審開始決定が出た。地裁前で「再審開始」の縦幕が掲げられ、歓喜の表情のひで子さんがテレビの画面に映し出されたのを、私は鹿児島の事務所で号泣しながら見ていた。その頃大崎事件は第2次再審請求が地裁で棄却され、高裁で即時抗告審を闘っていた。

 その後、大崎事件は第3次の闘いで地裁(17年6月)、高裁(18年3月)と続けて再審開始が認められた。

 しかし、そのわずか3カ月後、検察官の即時抗告により審理が続いていた袴田事件では、東京高裁が地裁の開始決定を取り消してしまった。降りしきる雨の中、肩を落とす弁護団の横で、ひで子さんは「50年闘ってきました。あと50年闘い続けるだけです」と一人気を吐いていた。

 胸がつぶれそうな思いでテレビを見ながら、その時の私は、同じ運命が大崎事件に降りかかってくることなど想像だにしていなかった。

 19年6月、最高裁は大崎事件の地裁・高裁の開始決定を取り消し、再審請求を棄却した。一方、袴田事件では20年12月、最高裁が、再審開始を取り消した東京高裁の決定を取り消し、審理をやり直すよう命じたのだった。

 5年前と同じく、雨になった東京高裁だったが、2時5分前に、突然雨がやんだ。その7分後、駆け出して来た弁護士2人が「再審開始」の縦幕を掲げた。雨上がりの高裁前に、歓喜の輪が揺れた。

 一呼吸置いて、ひで子さんと弁護団事務局長の小川秀世弁護士が、輝くばかりの笑顔で門前に現れた。私は涙でぐしゃぐしゃになり、気付いた時にはひで子さんとハグしていた。もう、言葉はいらなかった。

 翌朝の朝日新聞と京都新聞に、ひで子さんと抱き合う赤いベレー帽の写真が掲載されていた。

 写真の2人は、再審開始の喜びと、それを取り消された理不尽を、共に味わいながら、今も闘い続ける「同志」である。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁で審理が行われている。

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