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「文化時報」コラム

㊳3度目の春

2023年7月18日

※文化時報2023年4月7日号の掲載記事です。

 「1月は行く」「2月は逃げる」「3月は去る」というが、2023年の1月から3月は、60年余の私の人生でも格別といえる激動の日々だった。

ヒューマニズム宣言サムネイル

 昨年6月、日本弁護士連合会(日弁連)が再審法改正実現本部を設置した。実現本部では日弁連を挙げて再審法改正問題への取り組みを強化するために、全国の弁護士会に、法改正の必要性を説く市民集会やシンポジウム、弁護士向けの勉強会などを開催するよう依頼し、これまでに20以上の弁護士会で次々とイベントが開催された。実現本部の本部長代行を務める私は、これらの市民集会・シンポジウムでの講演や、勉強会の多くで、講師として全国各地に赴くこととなった。

 1月には「最強寒波」の到来していた岩手で、2月には一面の銀世界が広がる旭川と札幌で相次いで登壇し、3月には広島、岡山、長野、滋賀、東京、長崎、秋田、静岡の8か所を訪れた。まるで「旅芸人」のような生活である。

 そして、2月27日に大阪高裁で日野町事件の再審を認める決定が出され、3月6日に検察官がこれを不服として最高裁に特別抗告を申し立て、3月13日に袴田事件で東京高裁が再審開始を決定し、20日に検察官が特別抗告を断念したことで、再審開始が確定する―という矢継ぎ早の展開が続いた。

 このため、前述の講演行脚とは別に、二つの事件の動きに合わせて、日弁連での記者会見や、最高検への要請行動などで頻繁に上京することになり、もはや目覚めた時に自分がどこにいるのか一瞬分からなくなるほどの毎日だった。

 当然ながら、自宅や事務所にいる時間は極端に削られたが、ある時、ふと気付いた。どこに出張していても、そこから「京都に帰る」「京都に戻る」という表現を自然に使えるようになっていたことに、である。

 30年暮らした鹿児島から、生活の本拠を京都に移し、古刹(こさつ)、名刹を訪れ、季節ごとの花や紅葉を愛(め)で、そこかしこに歴史を感じさせる街に惹(ひ)かれながらも、どこかで「京都を訪れている」感覚が抜けなかった。それがいつの間にか、私にとって京都は「帰る場所」になっていたのだ。

 京都で迎える3度目の春。京都でしか紡ぐことのできない人の縁(えにし)を生かし、京都ならではの歴史と文化、そして宗教が織り上げたスピリットを味方に、これまでの視点とは異なる、新たな活動や発信を、この京都から広げていけるのではないか―。

 怒濤(どとう)の冬を駆け抜けた先に、新たな挑戦が待っている。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。

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