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「文化時報」コラム

㊶小浜探訪記

2023年8月16日

※文化時報2023年5月26日号の掲載記事です。

 今年のゴールデンウイークは、久々にコロナによる行動制限のない大型連休だったが、私は自宅にこもって締め切りの迫った原稿と格闘していた。ただし、最終日である5月7日だけは完全オフにしようと心に決めていた。

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 待ちに待った7日は、朝から土砂降りの雨。それでも意を決し、雨中ドライブに出掛けた。若狭湾で取れた鯖をはじめとする海産物を京の都に運ぶのに使われたことから、古来「鯖街道」と呼ばれた若狭街道を北上する。向かった先は福井県小浜市だ。

 まずは港の観光施設「フィッシャーマンズワーフ」へ。若狭湾の複雑な海岸線と奇岩が連なる蘇洞門(そとも)をめぐる遊覧船は天候不順で欠航だったが、ここで食べた小浜のブランド魚「よっぱらいサバ」(餌に酒粕を与えていることからこの名が付いたらしい)の炙(あぶ)り丼は絶品だった。

 小浜は奈良時代から天皇家に食材を供給する「御食国(みけつくに)」として、都の食文化を支えてきた。大陸に続く海を擁し、都との往来が盛んだったことで、小浜自体にも豊かな文化が花開いた。現在もなお、130余の寺院が立ち並び、祭礼や芸能を伝承する。戦国から江戸時代にかけては小浜藩の城下町として栄えた。

 歴史と文化に彩られ、人とモノの往来も盛んな土地柄が開明的な気風を育み、多くの人材を輩出する。「解体新書(ターヘルアナトミア)」の翻訳と刊行に苦闘した杉田玄白と中川淳庵は、小浜藩の藩医だった。

 雨の中、小浜神社(小浜城址)、中川淳庵の碑のある青井山高成寺、浅井長政の3人の娘の1人で京極高次の妻となった常高院が創建した凌霄山常高寺を回り、最後に訪れたのは真言宗御室派の棡山明通寺だった。かの坂上田村麻呂の開闢(かいびゃく)という古刹(こさつ)で、鎌倉時代に再建された本堂と三重塔は福井県唯一の国宝である。降りしきる雨の中、滴るような新緑に縁どられた清冽な佇まいに、しばし立ち尽くした。

 この寺の住職、中嶌哲演師は、学生時代に原爆被爆者と交流し、被爆者援護法が制定されるまで26年半にわたり被爆者を支援し続けた経歴をもつ。そして若狭湾沿いに相次いで計画された原発建設に断固反対し、運動の先頭に立った。

 地元小浜では建設計画が撤回されたが、隣町に大飯原発が建設された。福島第一原発事故を受けた大飯原発の運転差し止め訴訟では原告団長を務め、運転差し止めの判決を勝ち取った。しかし、原発事故がなかったかのような「原発回帰」の中、現在も闘いの日々が続く。

 師の志に、小浜の気風と先人たちのスピリットが息づいているのを感じる。いつか小浜を再訪し、権力に抗う者同士として、師と語り合ってみたい。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10 月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。福岡高裁宮崎支部も23年6月5日、再審を認めない決定を出した。

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