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「文化時報」コラム

②現代の駆け込み寺へ

2022年9月13日

※文化時報2021年8月26日号の掲載記事です。

 私は10歳の時に横浜から鎌倉に転居した。転校後に進級した5年生のクラスでいじめに遭ったこともあり、初めのうちは鎌倉での生活になじめなかった。

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 しかし、山と海に挟まれた土地のそこかしこに歴史の香りが漂い、いまも数々の神社仏閣が点在するこの街は、多くの文化人たちに愛された。そんな独特の雰囲気をたたえる鎌倉で過ごしたその後の10年間は、私の人格形成に多大な影響を与えることとなった。

 それから30年以上の時を経て、鹿児島で弁護士になった私は、東京出張の合間に時折、鎌倉を散策するようになった。地図を持たずに懐かしい道をたどり、来し方行く末に思索を巡らせる至福の時間である。

 特に好きなお寺がある。北鎌倉駅から徒歩5分ほどのところにある臨済宗円覚寺派の東慶寺だ。

 山門も本堂も決して大掛かりではないが、丁寧に手入れされた庭の、四季折々の花にいつも心癒やされる。墓地のある山懐に向かって歩みを進めると、突然結界を越えたようにきりりと澄んだ空気に入れ替わる。晩秋には空高く枝を広げる紅葉(もみじ)と銀杏(いちょう)が錦を織りなすこの墓地には、評論家の小林秀雄、民法学者の中川善之助、作家の高見順、哲学者の西田幾多郎、画家の前田青邨など、日本の英知を紡いだ先人たちが眠っている。

 ところで、東慶寺は執権北条時宗の妻・覚山志道尼が開山し、以来格式ある尼寺として600年にわたる「駆け込み寺」の歴史をもつ。女性の権利も地位も確立していなかった時代にあって、妻の側から離婚できる唯一の方法が「縁切りの寺法」であり、東慶寺は女性救済のために、家庭裁判所のような役割も果たしていたという。

 再審事件の弁護人として名前が出ることの多い私だが、17年間にわたる鹿児島での弁護士活動のなかで、最も件数が多かったのは離婚案件、それもDV被害者である妻側の代理人だった。

 夫からの暴力に傷つき、しかし支配服従の関係から抜け出せずにいる女性たちに寄り添い、法的なサポートに努めてきたが、弁護士には限界もある。依頼者に葛藤や懊悩(おうのう)を乗り越え、新たな生活への希望を見いだしてほしい、その後押しとなるコミュニティーにつなぎたい、と思っても、法的な紛争解決の先の支援はなかなか難しい。

 「駆け込み寺」は男女同権が憲法で保障された現代には不要だろうか。決してそうは思わない。法律家と宗教者のコラボレーションによる、新しい「駆け込み寺」の可能性を模索したい。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。弁護団は即時抗告し、審理は福岡高裁宮崎支部に移った。

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