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「文化時報」コラム

〈3〉私はわらじがぬがれない(上)

2022年9月20日 | 2024年9月9日更新

※文化時報2021年9月9日号の掲載記事です。

 捜査→起訴→裁判→有罪判決→刑の執行と進む刑事手続きの中で、宗教者の関わりが法律に定められている制度がある。「教誨(きょうかい)」である。明治時代の古い法律である「監獄法」29条に、被収容者が求めれば教誨を受けることができると定められ、現在は「受刑者処遇法」68条がこれを引き継いでいる。よく知られているのは宗教者が死刑囚と面会して教誨を行う場面であろう。

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 佐賀県塩田町(現・嬉野市)の真言宗常在寺の住職だった古川泰龍師は、1952(昭和27)年から福岡刑務所の教誨師を務めていた。そこで、冤罪(えんざい)を訴える二人の死刑囚と面会し、話を聞いて自ら現場に赴くなどした結果、二人は無実だと確信した。

 二人の名前は西武雄と石井健治郎。「福岡事件」という戦後間もない占領下の日本で、戦勝国である中国華僑の重鎮が殺害された事件で死刑判決を受けていた。日本国憲法の施行直後、捜査の現場では、いまだに警察の拷問による取り調べがまかり通っており、殺害現場にいた複数の者たちが、現場にいなかった西さんを首謀者、石井さんを実行者とする強盗殺人の自白を絞り取られた。裁判では裁判官が黙秘権も告知せずに、法廷で被告人たちを追及し、西さんと石井さんに死刑判決を言い渡した。
 
 古川師は、二人を救出するために、自ら真相究明書を認(したた)め、弁護士の先に立って再審請求を行い、家族とともに全国を托鉢(たくはつ)行脚して二人の無実を訴え続けた。「私はわらじがぬがれない」という言葉とともに。

 古川師の必死の活動により、国会が動いた。占領下で起訴され、死刑が確定した事件について再審要件を緩和する特例法案が社会党から提出されたのだ。法案の成立には至らなかったが、時の法務大臣が個別恩赦の検討を約束し、75年6月17日、石井さんは恩赦により無期懲役に減刑された。

 しかし、その同じ日に西さんの死刑が執行されてしまった。獄中で仏画を描き、写経を続けていた西さんは、無実の罪で死刑に処せられる無念を辞世の句に込めた。

 「叫びたし 寒満月の 割れるほど」

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。弁護団は即時抗告し、審理は福岡高裁宮崎支部に移った。

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