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「文化時報」コラム

④私はわらじがぬがれない(下)

2022年9月27日

※文化時報2021年9月23日号の掲載記事です。

 福岡事件の二人の死刑囚の雪冤(せつえん)のために奔走していた古川泰龍師のもとに、ある時、「冤罪(えんざい)救済活動の支援を行いたい」という、弁護士を名乗る男がやってきた。古川師は当時、佐賀から熊本県玉名市の立願寺に移っていたが、この「弁護士」は、東京からはるばる熊本まで師を訪ねてきたのである。

ヒューマニズム宣言サムネイル

 しかし、古川師の娘(当時11歳)が、この男を連続殺人事件の犯人として指名手配されていた西口彰だと見抜き、師はそれを知りつつ、これ以上犯罪を重ねることのないようにとの思いから、西口を一晩寺に泊め、翌朝警察に引き渡した。

 西口は古川師の活動資金が目当てで、一家を殺して金を奪おうともくろんでいたのだった。しかし、古川師は後に死刑判決を受け執行された西口や彼の家族との交流を続け、息子の学費援助まで行ったという。このエピソードはテレビドラマやドキュメンタリーの題材にもなった。

 その後古川師は、故・アルベルト・シュバイツァー博士の遺髪を授かり、1973(昭和48)年、玉名に「生命山シュバイツァー寺」を開山した。

 カトリック教会との交流をきっかけとして、ローマ教皇やマザー・テレサと面会し、映画『デッドマン・ウォーキング』の原作者、シスター・ヘレン・プレジャンとともに、宗教の違いを超え、手を携えて死刑廃止を訴えた。

 無実を叫びつつ処刑された死刑囚、真犯人として処刑された死刑囚。古川師はそのどちらにも等しく慈愛を注ぎ、その命を奪う死刑制度を憎んだ。彼が世を去ってからは、その息子と娘が師の遺志を継いだ。

 2013(平成25)年11月、九州の再審事件の弁護団に所属する弁護士や研究者、支援者、ジャーナリストがシュバイツァー寺に結集した。

 九州には、この国の刑事司法の理不尽が凝縮された再審事件がいくつもある。大崎事件もそうだ。私たちはこれらの事件を通して、この国の再審制度を変えるべく、「冤罪支援活動の聖地」であるシュバイツァー寺で「九州再審弁護団連絡会」を結成したのだった。

 「私はわらじがぬがれない」。清冽(せいれつ)な寺の空気の彼方(かなた)から、師の声が聞こえた気がした。

【用語解説】大崎事件

 1979(昭和54)年10月、鹿児島県大崎町で男性の遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、義姉の原口アヤ子さん(当時52)と元夫ら3人が逮捕・起訴された。原口さん以外の3人には知的障害があり、起訴内容を認めて懲役1~8年の判決が確定。原口さんは一貫して無実を訴えたが、81年に懲役10年が確定し、服役した。出所後の95年に再審請求し、第1次請求・第3次請求で計3回、再審開始が認められたものの、検察側が不服を申し立て、福岡高裁宮崎支部(第1次)と最高裁(第3次)で取り消された。2020年3月に第4次再審請求を行い、鹿児島地裁は22年6月に請求を棄却。弁護団は即時抗告し、審理は福岡高裁宮崎支部に移った。

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