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「文化時報」コラム

〈71〉ハトはハト

2024年11月30日

※文化時報2024年9月27日号の掲載記事です。

 5歳になった時、私が「ピアノを弾く娘」だという幻想を抱いていた母は、先生を家に呼んで私にピアノを習わせ始めました。

傾聴ーいのちの叫び

 興味も才能もなかった私は、もう、嫌で嫌で。当然、練習なんてやろうはずがありません。するとお稽古の時、クリスチャンだった先生がうっすらと涙を浮かべて言うんです。「練習がきちんとできるように、神様にお祈りしましょう」それがまた、嫌で嫌で…。

 小学校2年生になってついに「やめたい」と訴えました。その頃には、母もわが子に才能のかけらもないことに気が付いていましたので「何か他のお稽古をするならいい」と。そこで選んだのが「水泳」でした。

 スイミングスクールに通い始めた私はみるみる頭角を現し、1年後には強化選手コースに引き抜かれ、いっぱしの水泳選手として大学まで過ごすことになりました。

 そこでしみじみ思うのは、「ハトはハト カエルはカエル」だということです。

 人には、できることとできないことが明確にあります。どんなに頑張ったってハトは泳げないし、カエルは空を飛べない。努力が足りないとか、根性がないとか、そういった問題ではなく、もともとの素材として、それがあるのだと思うのです。

 でも、私たちは、しばしば勘違いします。「頑張ればなんとかなる」と。そして、大成功した人の本を読み、自己啓発セミナーに大枚をはたいて、「あの人みたいになりたい!」と必死で努力するのです。

 でもね、なれません。すると今度は「私はダメだ。なにをやったってうまくいかない」とやる気をなくしていくのです。ええええ?ちょっと待った!

 ハトとカエルに優劣はありません。どちらも唯一無二の存在。あなたとあの人も同じです。同じようにできることもあれば、できないこともあります。当然ですよ。だって、ハトはハトで、カエルはカエルなんですから。

 己を知って、己の「得意」を伸ばす努力をした方がずっと楽に生きられます。

 

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