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インタビュー

橋渡しインタビュー

人形芝居で自分らしく 浄土宗・山添真寛さん

2024年6月13日

※文化時報2024年4月30日号の掲載記事です。

 浄土宗僧侶の山添真寛さん(55)は「浄土宗の劇団ひとり」と銘打って、人形芝居や紙芝居を年間100ステージ余りこなす。僧籍を得た後、東京都内の劇団に所属し、改めて自分らしい僧侶像を突き詰めることになったという。「人形芝居は、自分の人となりを届けるもの。いろんなタイプのお坊さんが、それぞれ得意なことで人となりを届ければいい」と語る。(大橋学修)

こころをノックする

 「シンカンさーん」。司会の誘導で子どもたちが大声で呼び掛けると、「はーい」と返事をしながら、黒い影が舞台袖から飛び出した。人形芝居の舞台を背に、スピード感のあるアクションとトークを展開する。人形芝居や紙芝居をする前に必ず行うルーティンだ。

(画像①:劇の前に心をつかむボディーアクション)
劇の前に心をつかむボディーアクション

 観衆の心をつかみ取った後に演じたのは、山姥(やまんば)に襲われる小僧を老僧が助ける人形芝居『三枚のお札』。大人も子どももくぎ付けになった。

 山添さんは「大人は演じる僕を見ているけど、子どもは人形そのものを見ている。そんな人形の力を使って、心をノックするのが僕の役目かも」と語る。

僧侶になることへの違和感

 山添さんはお寺の次男。浪速短期大学(現大阪芸術大学短期大学部)を卒業後、同短大の職員として2年間従事し、その間に浄土宗の少僧都(しょうそうず)養成講座で学び、22歳のとき伝宗伝戒道場=用語解説=を満行した。

 ただ、そのまま僧侶になることに違和感を覚え、児童文化活動を手掛けるエツコ・ワールドの社長で親戚の宮腰悦子氏を頼って上京。劇団青年劇場(東京都新宿区)の養成所に入り、劇団員になった。30歳のときに「方向性が合わない」と感じて退団。アルバイトを転々としていたところを、知人がエツコ・ワールドで働けるよう手配してくれて、同社に入社。舞台制作や道具方を担った。

 あるとき、JR東京駅の八重洲口で紙芝居を演じるよう社長の宮腰氏に命令された。存外の仕事だったが、好評を得た。また、人形芝居のエキスパートの丹下進氏から、指導を受けるようになった。山添さんは「これも社長命令。自信あろうがなかろうが、従うしかなかった」と振り返る。

動くお寺と寺子屋

 エツコ・ワールドの拠点が滋賀県長浜市内に移ったのを機に、自身も移住。僧侶として活動する契機にもなった。実家の浄観寺(滋賀県甲賀市)の繁忙期に手伝うようになり、檀信徒と交流することに喜びを感じるようになった。

 師匠である父に頼み、エツコ・ワールドを離れて、5年間の約束で法務に専念させてもらった。浄土宗の布教師養成講座で学び、実際に説法に立ってみると、居心地の悪さを感じた。

 「自分らしくない。むしろ僕でなくてもいい」

 布教師仲間が、お寺の行事で人形芝居をしてほしいと声を掛けてくれたことが、今のスタイルを作るきっかけになった。「お説法は、自分自身でかみ砕いていなければ、相手に何も届かない。それを僕は、人形芝居や紙芝居ですることになった」と話す。

(写真②アイキャッチ兼用:人となりを届ける山添さんの人形芝居)
人となりを届ける山添さんの人形芝居

 現在は、大阪市阿倍野区を拠点に活動する。たとえ声が掛かってもお寺の住職になるつもりはないという。

 「僕が住職である必要はない。それに15年後には70歳。周囲に迷惑をかける」。自分自身が〝動くお寺〟のようであってもいいと考えている。

 いずれはかつて暮らした長浜市内で寺子屋を開くつもりだ。人形劇だけでなく、多様な取り組みを行いたいと構想する。「みんなが集まって、つながり、心が整う場をつくりたい」と未来を見つめる。

 

【用語解説】伝宗伝戒道場(でんしゅうでんかいどうじょう=浄土宗)

浄土宗教師になるための道場で、総本山知恩院と大本山増上寺で開かれる。加行、加行道場ともいう。

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