2024年10月11日 | 2024年10月14日更新
札幌市の日高和泰さん(42)は2022年に重症筋無力症を発症し、作業療法士として勤務していた病院を退職した。現在は筋力の低下に伴う命の危険と向き合いながら、民間の就労支援事業所のスタッフとして働いている。「人のために生きたい」。そう願うひたむきな姿が、周囲の人々の胸を打つ。
重症筋無力症は、身体の免疫が異常を起こし、神経からの指令がうまく筋肉に伝わらず、全身の筋力が低下していく難病だ。
日高さんは発症から2年経過し、特に左半身の筋力が落ちた。一歩間違えば呼吸困難の危険性もあるといい、3カ月に1度は検査入院する。
「毎朝目が覚めるまで、スムーズに起きられるかどうか分からない」。気圧の変化で体がぐっと押さえつけられた感覚になり、動けない日もある。
連続歩行は10分が限度。続けて歩くにはいったん休憩が必要だ。入浴中に頭を洗いたくても腕が上がらず、体感では「80代の高齢者と変わらない」という。
そんな日高さんは現在、就労支援事業所でフルリモート。勤務時間はフレックスタイム制だ。自分と同じ障害のある人たちに向けて、ITリテラシーや働くための心構えを伝えている。
とても明るく話上手で、難病を発症しているようには見えない。人からよく「元気だね」と言われることもあるが、見た目に分かりにくいのが重症筋無力症の特徴でもある。
「この先、何年生きられるのか考えることが多く、漠然と生きるのではなく、以前よりもずっと人のために生きたいと思うようになりました」
心優しい日高さんに、一体何が起きたのか。
1982(昭和57)年生まれ。北海道旭川市で育ち、19歳で札幌市の専門学校へ進学した。声優学科に入学し「友達をつくりたい」と、120人の学生全員に3日間かけてあいさつした。在学中は電話帳をめくっては札幌市内の劇団に電話をかけ、見学を申し込むなど積極的な学生だった。
卒業後は俳優の道を志し、札幌市を拠点に自ら劇団を立ち上げた。28歳まで演劇の世界に身を置き、テレビやラジオに出演。劇団の認知度は徐々に上がっていた。
ある日、自閉症を持つ不登校の男子高校生が、母親と劇団を見学しにやってきた。当初は挨拶ができず、目も合わせられない状態だったが、演技を学ぶようになって、日に日に表情が良くなった。
この青年は劇団で10カ月間過ごした後、夜間大学に進学し、演劇を続けたという。
一方、作業療法士の友人が稽古場によく顔を出していた。友人は演じる上での動きや体の使い方が、患者のリハビリに活用できると考え、熱心に見学してはメモを取っていた。
日高さんが30歳のとき、劇団は解散した。やり切ったという充実感と共に、医療と演劇が相乗効果を発揮すると確信した日高さんは、友人と同じ作業療法士の道へ進み、札幌市内の病院に就職した。
アイデアを出すのが得意で、通常業務の合間にレクリエーションを企画した。患者に少しでも楽しい時間を過ごしてほしいと、病院内でもよく面白いことをしていた。
「自分はこの仕事で定年まで働く」。そうやりがいを感じていた頃のことだった。
2022年、40歳の誕生日を迎えた2日後、突然顔に異変が起きた。眉毛の位置に左右差ができ、まぶたが開かない。病院では「眼瞼下垂(がんけんかすい)」と診断され、二重まぶたの手術を行った。だが、手術中もまぶたが下がるため、誤診だと分かった。
「重症筋無力症は発症から3年ほど経過しないと分からないくらい診断が難しく、情報量が少ない。他の患者さんから、何科を受診したらいいのかと問い合わせを受けることがあります」
日高さん自身は神経内科を受診し、正式な診断を受けた。入院中はベッドの上で泣きながら、今後の生活のことを考えた。2人の子どもたちはまだ幼かった。
医療業界の論文を読みあさり、知識を仕入れながら身の振り方を考えた。幸い、リモートで仕事ができる現在の職場が見つかり、気持ちはいくぶん救われた。
「僕たちは難病患者ですが、障害者手帳はもらえず、仕事をするには不利な立場です。働く環境さえ整えられれば、安心して仕事を続けられる方がたくさんいます。そうした社会をつくらなくてはいけないですね」
会員制交流サイト(SNS)では「ダウ日高」と名乗り、重症筋無力症の情報を発信。国内外を問わず、同じ患者同士で連絡を取り合い、自らも情報収集に努める。それぞれが病と向き合い、自分が積んできたキャリアで社会とつながっていることが分かったという。
2023年には医療系任意団体「君がため」を設立。リハビリ職の仲間に声をかけ、高齢者に向けて定期的に介護予防教室を開催している。
40代、本来であれば働き盛りの世代。突然起きた病と葛藤する日々だが、その分自分が何を求め、何をやるのか明確になった。頭に浮かぶ言葉は「正しく生きたい」。
「病気になる前から、僕はいつも周りが幸せになるにはどうしたらいいかと自然に考えていました。誰かをだましたり、ズルしたりしないで、人に優しく接すること。自分の周りにいる人を幸せにすれば、自然と幸せの輪が広がっていきますから」
自分の体をケアするだけでもひと苦労だが、それでも日高さんは人のために生きたいと何度も口にした。かつて劇団を立ち上げたことで、自閉症の青年を救ったように、次は自身の難病が必ず誰かのためになり、良い方向に向かっていくと信じている。