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お寺と福祉の情報局

日本にお茶を広めたのは、お坊さんだった

2024年3月3日 | 2024年7月8日更新

 日本で古くから親しまれている飲み物といえば、お茶ですよね。今や当然のように日本文化に根付いていますが、そのお茶を楽しむことを日本に広めたのがお坊さんだということは、ご存じでしょうか。「茶祖」と呼ばれる禅宗の僧・栄西と、お茶の歴史を振り返ってみたいと思います。

茶畑(イメージ)
茶畑(イメージ)

 現在の岡山県に生まれた栄西(1141~1215)は比叡山で天台密教を学んでいましたが、深く禅宗を学ぶため、2度にわたって中国・宋へ留学しました。帰国後は臨済宗という宗派の開祖となり、日本にお茶を広めた業績から、「茶祖」とも呼ばれています。

 実は、お茶は栄西が生まれる前からも日本に存在していました。奈良・平安時代からあったとされるのは、蒸した茶葉を臼でつき乾燥させて固めた餅茶(へいちゃ)。飲む際には、砕いて粉にし、熱湯で煮ます。僧侶や貴族階級など、ごく一部の人しか味わうことができなかったとされています。

 宋の禅寺で喫茶が盛んに行われているのを見た栄西は、日本で臨済宗を布教するとともに、日本初のお茶の専門書「喫茶養生記」を著し、お茶の栽培方法やお茶にまつわる文化を広めることにしました。栄西が新たに持ち帰ったお茶は、新芽に覆いをかぶせて栽培し、摘み取った後は蒸した葉を揉まずに乾燥させて作る碾茶(てんちゃ)で、抹茶の原料にもなっているものでした。

 また、お茶に含まれるカフェインが禅宗における厳しい修行で起こる眠気に有効であることから、栄西は寺院での茶栽培も広めます。それを聞いて華厳宗の僧である明恵上人(1173~1232)が植えた京都・栂尾(とがのお)の真言宗寺院、高山寺のお茶は「栂尾の茶は本茶、それ以外は非茶」と呼ばれるほどの人気を博し、今でも日本最古の茶園として知られています。

 さらに宋には、禅宗の喫茶の礼法「茶礼(されい)」もありました。修行の合間や就寝時など、1日に数回、一つのやかんに用意された茶を分け合って飲むことで、全員で心を合わせて修行に取り組むという目的です。鎌倉時代以降、日本の禅寺でも行われるようになり、その頃多く存在した武士階級にも、禅宗と喫茶の文化が普及しました。

 その後、有名な臨済宗の僧・一休宗純に禅を学んだ村田珠光によって、禅と茶の思想を融合させた「わび茶」が生み出され、茶道へとつながっていったのです。

 いかがでしたでしょうか。茶と禅宗には、切っても切れない関係があるようです。「本茶」と名高い栂尾のお茶、禅寺を訪ねてじっくり味わってみたいものですね。

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