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〈文化時報社説〉受援力に注意払おう

2025年4月15日

※文化時報2025年1月31日号の掲載記事です。

 ボランティア元年といわれた阪神・淡路大震災から30年が過ぎた。度重なる災害で支援が行き届かなかったことを教訓に、ボランティアを受け入れる被災地の「受援力」を高めるべきだという考え方が市民権を得つつある。宗教者も知っておいた方がいい概念だ。

社説・受援力

 受援力は「支援を受ける力」のことで、内閣府防災担当が2010(平成22)年に初めて提唱した。身の回りの状況やニーズを積極的に伝えることによって、地域の外から訪れるボランティアの力を引き出し、復旧・復興を早める狙いがある。

 昨年の能登半島地震では発生直後にボランティアが入れず、人手不足がなおも尾を引いている現状を考えると、重要な観点といえるだろう。

 最近は、受援力という言葉が防災だけでなく、困っているときに「助けて」「手伝って」と言える力として、広く福祉などでも使われるようになった。

 産婦人科医で神奈川県立保健福祉大学の吉田穂波教授が作成したリーフレット『受援力ノススメ』によると、頼むことは相手への信頼や尊敬なのだという。迷惑をかけるのではなくお互いさま、と捉える仏教的な視点に通じる。

 だが、広義の受援力を身に付けようと呼び掛けることは、いま実際に困っている人や苦しんでいる人にとって、残酷な側面があることにも注意すべきだ。

 不登校やひきこもりの経験者には、自分はSOSを出したつもりだったのに無理やり外に連れ出されて余計に追い込まれた―と感じている人が多い。「助けて」と言っても救われなかった経験を繰り返すと、それ以上傷つくのを恐れて何も言えなくなる。そうした心理は想像に難くない。

 『受援力ノススメ』には「どんな時代でも〝助けたくなる人〟になる10の法則」と題し、「笑顔で頼む」「相手の話も聞く、相手もねぎらう」などの項目が並んでいる。生きる上では大事なスキルかもしれないが、例えば重い知的障害・精神障害のある人や高熱を出している患者に、そこまで要求する必要はあるのだろうか。

 受援力の有無が、支援者の恣意(しい)的な物差しで判断されないか。受援力がない人は自己責任なので支援しなくていい、という結論にならないか。

 受援力を身に付けてもらうという考え方は、万能ではない。窮地のときほど「助けて」と言えないのではないかと想像し、頼まれなくてもおせっかいをして、絶妙な距離感を保ちながら人を助ける。支援者は、そういった支援力を高める努力を怠らないでほしい。

 これはもちろん、宗教者にもいえることである。

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