2025年6月26日
※文化時報2025年4月4日号の掲載記事です。
滋賀県が主催する死生懇話会の5回目の会合が3月23日、県庁で開催された。行政が生死を真正面から捉えて考えを深める異例の取り組みで、有識者が集まる形で開く会合は今回が最後。これまでの議論を行政の施策にどう生かすべきかを話し合い、要支援者と死生観を語り合う場を設けることなどさまざまな提案が出された。(大橋学修)
死生懇話会は、死を考えることが生を充実させる施策を生む契機になるという発想から、2020年に始まった。有識者の会合による議論のほか、県民向けのイベント「死生懇話会トークライブ」、住民らが語り合う「死生懇話会サロン」などを開いてきた。今回の会合では、これまでの議論とイベントでの対話に携わったことで得られた気付きや心境の変化について、それぞれの有識者が語った。
龍谷大学農学部生命科学科の打本弘祐准教授は「滋賀県の地域文化ならではの死生観がある」と述べ、琵琶湖を「水の浄土」と捉える信仰に言及。滋賀県立大学地域共生センター講師の上田洋平氏は、琵琶湖の漁師が「ここで生まれ育ち、食べて、死んでも盆には孫と過ごす。ここが私の在所だ」と語った言葉を紹介した。
滋賀県介護支援専門員連絡協議会の楠神(くすかみ)渉副会長は「看取(みと)りとは、死にゆく人から何かを受け止めること。悲しいだけでなく、温かさを感じるものでもあると思うようになった。看取りには温かい死がある」と話した。
米ボストンにいて会合に出席できなかった関西学院大学人間福祉学部の藤井美和教授は、行政には経済的困窮にある人や大切な人を亡くした人などを支える役割があることを示した上で「生と死は一つのもの。死と向き合うことは、生きるための第一歩になる」とメッセージを寄せた。
今後議論を続けるべきテーマについても話し合った。楠神副会長は、支援を必要とする人も交えた死生観を語り合う場を設けることを提案。「本人により添う支援ができる。それを地域ごとに行った方がいい」と話した。
一般社団法人こどもエンターテインメントのミウラユウ代表理事は、ものごとを数字で可視化する社会が人々を生きづらくさせていると指摘。「助け合いや自己責任で生きろと言われるが、個人で抱えきれない。社会の課題を個人にすり替えてきた。それに決着をつける必要がある」と訴えた。
打本准教授は、身寄りのない人や身元が分からない人、外国人などの弔いをどのように考えていくのかを語り合う必要性を伝え、上田氏は「自然という視点を置き忘れている。自然科学の視点で考えると滋賀県らしい死生観になってくるのではないか」と語った。
三日月大造知事は「弔いも多文化共生の中で考えていくべきだ。自然との関係を大切にする滋賀県でありたい。災害や平和についても、死生観に取り組んだ滋賀県だからこそできることがある」と話した。
死生懇話会の始まりから、実際に動き出した様子を県企画調整課の職員2人が手がけた書籍『えっ!死ぬとか生きるとか、知事命令?』(文芸社)のお披露目もされた。
本書は、三日月知事が20年1月6日の御用始めに「今年は『死』に対して一緒に向き合う機会、そういう場づくりを行いたいと思います」と訓示したシーンから始まっている。
意表を突いた発言に職員たちが困惑し、県庁内に波紋が広がったことや、当初は否定的だった企画調整課職員も死生観を考える意義を感じるようになっていく様子が、ドキュメンタリータッチでつづられている。
巻末に手記を寄せた三日月知事は「いろいろな人の死と病、老いや生き様を見てきた人びとと語り合うことで、その言葉を紡ぐことで、自分なりのものさしが増えた感があります。でも、ますますわからなくなったような? 怖くなった気もします」と記した。