検索ページへ 検索ページへ
メニュー
メニュー
TOP > 福祉仏教ピックアップ > 『文化時報』掲載記事 > 牧師がつなぐ“支縁”の輪 岩村義雄さん

つながる

福祉仏教ピックアップ

牧師がつなぐ“支縁”の輪 岩村義雄さん

2023年7月19日 | 2023年7月20日更新

※文化時報2023年6月9日号の掲載記事です。

 プロテスタント教会の牧師が中心となり、世界各地の被災者や難民、路上生活者への支援を行っている団体がある。一般社団法人神戸国際支縁機構(神戸市垂水区)。毎回多くのスタッフと共に、東北や熊本、トルコ、シリアなどへ何度も向かい、ボランティア活動を続けている。理事長を務める神戸国際キリスト教会の岩村義雄牧師は「他己」の精神を基に取り組んでいる。(松井里歩)

142回通い続ける

 神戸国際支縁機構は2001(平成13)年の米同時多発テロに伴う対テロ戦争で、アフガニスタンから多くの難民が出たことをきっかけに、大学生らも交えた5人で活動を始めた。以降、ミャンマー難民や釜ケ崎(大阪市西成区)の路上生活者の支援を行ってきた。

 11年3月に起きた東日本大震災を機に、被災者支援にも精力的に取り組むようになった。宮城県石巻市で、地元住民らと手作業で育てる「復幸米(ふっこうまい)」と名付けた米作りを中心に、10年以上ボランティア活動を実施し、今年5月時点での活動回数は142回に上る。

「復幸米」作りに取り組む子どもら=宮城県石巻市(岩村牧師提供)
「復幸米」作りに取り組む子どもら=宮城県石巻市(岩村牧師提供)

 限界集落も訪れ、1人暮らしをする後期高齢者らを何度も訪問し、生活の見守りも行っている。大切なのは物理的支援よりも心のケアであり、「心の復興」だと考えているからだ。「憎しみ、怒りをどうなだめるかは、一緒に生きていくしかない。だから通い詰める」。岩村牧師は語る。

 メンバーの間でも、「被災者」というひとくくりではなく個人の名前で呼ぶことで、一人一人を大切にしている。若者がボランティアに来ると「神さんが来た」と言われるほど、高齢者にとって若者らはかけがえのない存在となっている。

 ほかにも、2020(令和2)年7月の集中豪雨で氾濫した球磨川(くまがわ)流域での「復幸米」作りや、神戸市の東遊園地での炊き出しを実施。昨年2月のロシアのウクライナ侵攻以降は、戦争孤児のための養護施設の建設を計画して現地を4回訪れるなど、岩村牧師らの活動は枚挙にいとまがない。

 若者への啓発にも熱心だ。5月11日には関西大学(大阪府吹田市)の人権啓発セミナーで「民主主義の限界に翻弄される人類―ウクライナ戦争やトルコ・シリア大地震を通じて」と題して学生らに講演した。自身が実際に被災地へ足を運んで見てきた事実や、戦争と平和において何ができるかについて訴えかけた。

 「ボランティアにお誘いし、『時間にゆとりができたら』『お金にゆとりができたら』とおっしゃって被災地に足を運んだ方とは、一度もお会いしたことがありません」と指摘。不幸や試練に打ちひしがれた経験を持つ人が多く参加していると話した。

 同機構では、統合失調症のメンバーが献身的にボランティアに参加していることが大きな特徴だ。ハンディキャップを抱える人たちと率先してつながり合える分、むしろボランティアに向いている存在なのではないかと岩村牧師は感じている。

「他己」の精神を持つ

 岩村牧師は、ボランティア活動に際して相手を最大限思いやる「他己」の精神で臨んでいる。聖書にある「だれでも自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい」(コリント第一の手紙10章24節)という言葉と、「もっとも小さなきょうだいにしたことは私にしたことと同じだ」(マタイによる福音書25章40節)というイエスの言葉が根幹にあるそうだ。

ウクライナ・ブチャ近郊の村モシュチュンで、生き残った少年(10)と=2月13日(岩村牧師提供)
ウクライナ・ブチャ近郊の村モシュチュンで、生き残った少年(10)と=2月13日(岩村牧師提供)

 どうすれば他己を表現できるか。それは、ほほ笑みや声の動き、色といった、言語ではない部分にあるという。難民の子どもの中には、学校に行けず言葉で自分を表現できない子も多い。そうした相手にこそ、内面からにじみ出てくる感情を大切にしている。

 「ふるさとの言葉でふるさとの仲間へ福音を語りたい」という思いから、岩手県と宮城県にまたがる気仙地域の方言で書かれた「ケセン語訳」の聖書がある。岩村牧師は、その中で「愛」が「大事」と訳されていることを挙げ、「嫌いな人を愛することは難しいが、大事にすることはできる」とし、それが他己につながると話した。

宗教者にできること

 聖書では「孤児」「寡婦」「難民」が常に語られ、「宗教とは、孤児や寡婦の世話をすること」(ヤコブの手紙1章26~27節)と定義されているといい、これこそが宗教者にできることだと岩村牧師は考えている。自身も、「しゃべくり(理屈)より現場での実践」をモットーに活動を続けている。

 しかし、災害支援に関わる宗教者に対して岩村牧師は、半年ほどで約6割が去っていく実感があるという。一方で、「自己満足で終わってしまう人も多いものの、最後に残っているのは宗教者だ」と話し、宗教者の本領を評価している。

 「チャリティーと奉仕は違う。奉仕は上位の人間のためにするもので、自己犠牲的だ。ボランティアにはチャリティーが必要で、それが『他己』である」。そうした人類愛とも言うべき態度が、岩村牧師の「ボランティア道」のようだ。岩村牧師は言う。

 「末期がんで寝たきりの人の手を握って、にこっと笑う。それができるのが、宗教者の強さだと思う」

おすすめ記事

error: コンテンツは保護されています