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⑮「ごちゃまぜ」の共生力 社会福祉法人佛子園 ㊤

2023年9月14日

※文化時報2023年4月4日号の掲載記事です。

 福祉の枠を超え、共生のまちづくりに取り組むことで全国に知られる社会福祉法人佛子園(石川県白山市)の雄谷良成理事長は、日蓮宗蓮昌寺(金沢市)・行善寺(白山市)の住職を務める僧侶でもある。子どもも高齢者も、障害がある人もない人も、いろいろな人たちが関わり合いながら暮らす「ごちゃまぜ」をコンセプトに、福祉事業やまちづくりを積極的に展開。佛子園を年間事業収入30億円超の法人に育て上げた。「ごちゃまぜ」の理念や効果などについて尋ねた。

寺院再生がきっかけ

――「ごちゃまぜ」のコンセプトが生まれた経緯は。

 「石川県小松市にある廃寺寸前だった西圓寺の再生を檀家の方々から頼まれたのがきっかけです。佛子園の施設として活用することにし、2008年に地域密着型通所介護施設『三草二木 西圓寺』を開設しました。ここで、私たちが全く予期せぬ化学反応が起こりました」

「頑張りすぎると、力を発揮する機会を奪う」と語る雄谷理事長
「頑張りすぎると、力を発揮する機会を奪う」と語る雄谷理事長

 「一つは、高齢者と障害者の化学反応です。デイサービスに通う認知症のおばあさんが、生活介護サービスを利用している重度障害者の男性に、ゼリーを食べさせようとした。男性は車いすに乗り、首をほとんど動かせないのでうまくいかない。しかし、おばあさんが毎日繰り返していると、3週間ほどして男性がゼリーを食べられるようになりました」

――どうしてそうなったのですか。

 「男性の首の可動域が広がったのです。理学療法士が2年間で15度までしか改善できなかった可動域が、3週間で30度まで広がりました」

 「一方、おばあさんは『あの子は私がおらんと駄目なんや』と言って、朝、ぱっと起きるとスプーンをポケットに入れ、すぐさま西圓寺に出掛けるようになった。それが日課になると、深夜徘徊がなくなり、他にも認知症の症状が改善されました」

 「福祉や医療が関与していなくても、2人が出会うことによって互いに役割を見つけ、生きる力を取り戻し、症状が改善したわけです。『ごちゃまぜ』で過ごすと、人間と人間が関わり合うことによって、化学反応が起こる。福祉や医療に関わる人たちが頑張りすぎると、彼らから力を発揮する機会を奪い、逆効果になると気付きました」

世帯数が4割増

――化学反応の二つ目は。

 「西圓寺がある野田地区の世帯数が増えたことです。開設から11年間で55世帯から76世帯へと、約4割も増えました。増えた理由を調べたところ、若者が外に出ていかなくなり、出てもUターンするようになっていた。『三草二木 西圓寺』は日帰り温泉として一般にも開放しているのですが、温泉に入りに来た人たちが『ここは住みやすそうだ』と転居してきた例もありました。周辺の地区を含めて世帯数が増えたのは、野田地区だけです」

――移り住んできた人たちがおられるんですね。

 「はい。彼らは『居心地がいい』と言っています。最初は、障害者が大きな声を出したり、認知症の人が不思議な行動をとったりするので驚いたが、しばらくしたら不思議と居心地がよくなったというのです。障害者も高齢者も、地域住民の一員としてゆったり過ごし、受け入れられているのを見て、心の安らぎを感じるそうです」

「三草二木 西圓寺」内の飲食スペースは多くの人でにぎわう)
「三草二木 西圓寺」内の飲食スペースは多くの人でにぎわう)

 「『ごちゃまぜ』になっていることが、居心地の良さをつくる。この大きな気付きが、私たちの活動に転機をもたらしました」

 《「三草二木 西圓寺」の成功体験を基に、「ごちゃまぜ」を積極的に推進するようになった佛子園は、住民参加型のまちづくりを行う「Share(シェア)金沢」(金沢市)や、誰も排除しないまちを目指す「B‘s行善寺」(白山市)、既存の空き家や空き地を再利用したまちづくりを進める「輪島KABULET(カブーレ)」(輪島市)などを、県内で相次ぎ立ち上げた》
――「ごちゃまぜ」の効果が印象深い例をお聞かせください。

 「法人本部施設をリニューアルして15年4月にオープンした『B‘s行善寺』の例です。グループホームに入って働いている障害者のAさんが、コンビニなどで万引きを繰り返し、執行猶予付きの有罪判決を受けました」

 「ところが、『B‘s行善寺』ができてからの7年間、Aさんは物を盗っていません。佛子園の福祉スキルは変わりませんから、『ごちゃまぜ』の場所ができたことによって、心の隙間が埋まっていったというわけです」

誰にも存在価値がある

――心の隙間が埋まるとは、どういうことでしょうか。

 「万引きをしなくなったAさんに対し、福祉の人間は『偉いね』『頑張っているんだね』などと言います。これに対して、地域の人たちは分け隔てなく接しますから、『良い子でいると後がしんどくなるから、あまり飛ばすなよ』などと言います。それに対しAさんは、『人聞きの悪いこと言うなよ』などと反論します。つまり、地域の一員として対等な関係になっているのです」

 「ところが福祉の人間は、知らず知らずのうちにマウントを取る、すなわち支援する相手より優位に立とうとします。そのため、障害を持っている人は『自分は自分で生きていく』ということが邪魔されてしまう。だから心理的なストレスを感じ、心に隙間ができるのです」

――Aさんのその後の様子は。

 「お寺の前の掃除などもしてくれるようになりました。また、こんなこともありました。一流企業の部長だった男性が、奥さんから離婚された。荒れ果ててうちの施設内のそば処で大酒を飲んでいたら、Aさんが声を掛けた。男性が『俺もここで働けるかな』と聞いたら、Aさんは『働いてみたら』と言った。それで男性はうちで働くようになり、生活も立て直せました」

空き屋を改修した施設が並ぶ「輪島KABULET(カブーレ)」
空き屋を改修した施設が並ぶ「輪島KABULET(カブーレ)」

 「このように、『ごちゃまぜ』の場所には、障害のある人にも存在価値がきちんとあるのです。そもそも、障害のある人が、人類が始まってから現在まで生存してきたのは、必要とされているからです」

――「ごちゃまぜ」にすると、症状が改善したり元気になったりといったことが、日常で普通に起きるのですね。とてもすごいことです。

 「私たちも含めて、福祉や医療などで専門家を名乗る人は、偉そうにそれっぽいことを言いますが、それだけではカバーできない領域があるということです」

【佛子園の歩み】ルーツは知的障害児施設

 社会福祉法人佛子園の母体は日蓮宗行善寺。先々代住職で雄谷良成理事長の祖父、雄谷本英氏は戦後、戦災孤児や行き場所のない知的障害児らを寺で預かり、育てていた。

 福祉事業として継続していくために、1960(昭和35)年3月、行善寺の土地、建物の一部を寄付する形で社会福祉法人佛子園を設立。翌月には、児童22人を受け入れて知的障害児入所施設を開設した。

 雄谷理事長は小学生の頃まで、施設の障害児と共に寝起きしていた。大学で障害者の心理学を学んだ後、特別支援学校での教員経験や青年海外協力隊での活動、地元新聞社での勤務を経て、94(平成6)年、33歳の時に佛子園に入職。「障害者が安全に働き、安心して暮らせる場をつくらなければならない」との強い思いから、県内に就労施設などを次々と立ち上げていった。

 廃寺寸前の寺院を再生させようと、障害者も高齢者も一緒に過ごせる「ごちゃまぜ」の地域コミュニティー「三草二木 西圓寺」を2008年に開設。以降、「ごちゃまぜ」をコンセプトとしたまちづくりを積極的に展開している。

施設展開の理由

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