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人は不完全な存在 みんなの寺・天野雅亮住職

2023年10月8日

※文化時報2023年9月1日号の掲載記事です。

 いつでも誰でも気軽に足を運べて、自由に仏教に触れられる。そんな理想を掲げて21年前に建立されたお寺が、仙台市泉区にある。単立寺院「みんなの寺」。住職の天野雅亮さん(55)は「人は誰にでも個性があり、凸凹がある」と話す。そんな自身の考え方に影響したのが、生まれつき肌や髪の色素が少ない遺伝病「アルビノ」だった。(飯塚まりな)

アルビノで髪を染め

 アルビノは、白子症とも呼ばれる先天的な色素欠乏症。体内でメラニン色素を作れず、毛髪や皮膚、目の色が薄い。視力障害などを伴うことが多く、難病にも指定されている。

 天野さんは1968(昭和43)年、北海道函館市生まれ。お寺とは関係のない一般家庭で生まれ育った。アルビノのため、幼い頃から髪を黒く染めていた。少し伸びると、つむじから金色に光る毛が見えた。

 天敵は紫外線。白い皮膚が真っ赤に焼けてしまうことから、子どもの頃は特に気を使った。弱視であり、教室では真ん中の一番前が定位置。眼鏡を着用しても矯正できず、現在も視力0.1程度で生活している。

(画像①アイキャッチ兼用:天野雅亮さん)
天野雅亮さん

 「子どもの頃は外見を気にして、メンタルが弱く自信がなかった。人間関係を築くのがあまり得意でなく、いつもどこかで生きづらさを感じていた」。アルビノという病名も、当時は知らなかったという。

 高校生のとき、毛髪が生えてこない症状のある後輩の男子生徒が入学してきた。見た目を気にする様子もなく、明るく振る舞う姿を見て、感心した。一方で自分はずっと髪を黒く染め続けており、まるで偽りの自分を演じているかのような居心地の悪さがあった。

 卒業後に浪人し、以前から興味のあった宗教について詳しく知りたいと考えるようになった。大学には進学せず、浄土真宗本願寺派の僧侶養成機関、中央仏教学院(京都市右京区)へ入学。19歳で僧侶となった。

自分を変えたかった

 僧侶になるために剃髪(ていはつ)したことで、気持ちが楽になった。周囲から「似合ってる」と言われ、前向きにもなれた。ようやく見た目通りの自分を受け入れてもらえた、と実感できた。

 しかし、「自分を変えたい」という気持ちや生きづらさの根っこのようなものは、しこりとして残ったままだった。本願寺北山別院(同市左京区)で8年間勤務した後に京都を離れ、アジアを中心に1年半、自分探しの放浪の旅に出た。

 そのうち10カ月間はインドで修行し、僧侶をはじめ現地でさまざまな人々と出会った。そうして導き出したのが、「そのままの自分でいい」という結論だった。

 「旅をする前は、変わりたいと思っていた。でも途中で、変わらなくていいことに気付いた」

 それまでの自分は、人目を気にして遠慮する気持ちが強かった。だが、人と人が歩み寄り、互いを知るためには、自分自身がありのままの姿で過ごすことが大切だと分かった。好きだった仏教を、自分を知るためのツールとして認識できたことも貴重な経験となった。

 帰国後に布教使資格を取得。本願寺仙台別院(仙台市青葉区)で4年間勤めた。

ゼロから妻と寺開く

 天野さんには、僧侶になったばかりのころからの夢があった。「お寺はこうあってほしい」と自分で思えるような、理想のお寺をつくることだ。海外を旅したことでより強く、はっきりとイメージが湧いた。

(画像②:誰もが気軽に立ち寄れる「みんなの寺」)
誰もが気軽に立ち寄れる「みんなの寺」

 2002(平成14)年に独立。土地もお金も檀家もない中、当時結婚したばかりだった妻、和公さんと二人三脚で、お寺を開くために奮闘した。和公さんも一般家庭の出身でありながら、ミャンマーで出家。3人の子どもに恵まれ、現在は副住職・坊守として夫を支えている。

 「みんなの寺」は正式名称。どの宗派にも属さず、誰もが気軽に仏教と親しめることを目指して名付けた。05年には宗教法人として認証された。

 天野さん自身の病気も、お寺の運営に生かしてきた。インターネットで交流するアルビノの当事者たちが実際に集まる「オフ会」を、お寺で開催。個別に悩みを聞くこともある。生まれた孫がアルビノだったとして相談しに来た人には「心配しなくていい」と伝えた。「スマートフォンで写真を撮って画像を拡大すれば、遠くの字も読める。少し工夫すれば、昔よりも生きやすい時代になっていると思う」

(画像③:「自分自身を受け入れることで、他人にも優しくできる」と説く)
「自分自身を受け入れることで、他人にも優しくできる」と説く

 人は皆、個性や特徴を持ち、凸凹のある不完全な存在だ。自分自身を受け入れて慈しみの心を持つことで、他人にも優しくできる。ましてや「こうあるべきだ」という価値観で人を裁くべきではない―。

 そう考える天野さんは、こう言ってほほ笑んだ。

 「アルビノである私の姿そのものが、お説法になっている。これでよかったと思う」

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