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現代人の死生観から教化考える 浄土宗総合研究所

2024年3月4日 | 2024年7月8日更新

※文化時報2024年2月13日号の掲載記事です。

 開宗850年を迎えた浄土宗が、現代人に適した教化・伝道の方法を模索している。昨年12月には、教化研修会館(京都市東山区)で死生観をテーマにしたシンポジウムを開催。現代人が仏教から乖離(かいり)した死生観を持っていると捉え、どのように伝えればいいかを話し合った。(大橋学修)

(画像01:アイキャッチ兼用:現代人の死生観と教えの乖離について討論する識者ら=昨年12月4日、京都市東山区)
現代人の死生観と教えの乖離について討論する識者ら=昨年12月4日、京都市東山区

 シンポジウムは浄土宗総合研究所が12月4日、「往生をいかに伝えるか―多様化する現代人の死生観をみつめて」と題して開催。有識者5人が登壇した。

 知恩院浄土宗学研究所嘱託研究員の安達俊英・圓通寺住職は、浄土宗学における死生観を解説。臨床仏教研究所特任研究員の大河内大博・願生寺住職はチャプレン=用語解説=の、鵜飼秀徳・正覚寺住職はジャーナリストの立場からそれぞれ語った。

 池田小事件=用語解説=の遺族で下町グリーフサポート響和国「ひこばえ」の本郷由美子代表は、事件当日から死を受容するまでの心の動きを振り返り、島薗進東京大学名誉教授は死後世界を伝える意義を論じた。

 井野周隆・浄土宗総合研究所研究員をコーディネーターとした討論では、ヒット曲「千の風になって」が話題となり、登壇者らは「そばにいるという安心感と、でも会えないという悲しみがある」と指摘。葬儀を布教のチャンスと捉えることへの違和感なども話題に上った。

 全体を総括した今岡達雄・同研究所所長は「僧侶が悲しみの場に的確に対応しているかという点に着目すべきだ。相手の立場に立って、法話をカスタマイズすることも必要」と述べた。登壇者5人の発言要旨は次の通り。

葬儀でどう伝えるか
知恩院浄土宗学研究所嘱託研究員 安達俊英・圓通寺住職

(画像02:安達俊英氏)
安達俊英氏

 江戸時代の年間葬儀数は現在の5倍以上で、20歳未満の人が半数以上を占めた。死が身近な存在で、終末期にある人のために念仏を唱えるのが当たり前だった。

 現代人は、死を特別視する。病院で「縁起でもない」と言うように、念仏を不吉と捉える。念仏に親近感がなく、葬儀で唱えよと言われても違和感だけが残る。

 現代人は、故人が近くにいてほしいと願う。説法では極楽での再会を示すよりも、浄土に往生した人が戻って教えを説く「還相回向」を伝えた方が良い。

 米国では、終末期医療に携わった関係者らが患者の死後にパーティーを行い、グリーフ(悲嘆)ケアをし合うという。中陰回向にも同じ機能がある。

ケアと教化の連続性
臨床仏教研究所特任研究員 大河内大博・願生寺住職

(画像03:大河内大博氏)
大河内大博氏

 相手の持つ死生観をそのまま受け取ることが大切。他者の世界に、自分自身が入っているかを自身に問うべきだ。スキルではなく存在で関わり、「話せる」「話しちゃった」という関係性を作る。

 ケアから教化に至るにはギアチェンジが必要。教化とは、宗教者が答えを示し導くこと。ケアはその人が成長すること、自己実現することを助けること。共に揺れながら、自ら答えを見つけていくプロセスをたどり、時機を待つことが大切だ。

 自分の中に相手を見いだし、相手の中に自分が見いだされるという関係性をつくる。そうしたコミュニケーションによって、対機説法が成立する。

魂の受け止めを再翻訳
ジャーナリスト 鵜飼秀徳・正覚寺住職

(画像04:鵜飼秀徳氏)
鵜飼秀徳氏

 2011(平成23)年の東日本大震災以後、「幽霊が見える」「被災地で鎮魂・除霊」などの報道が相次いだ。16年には東北学院大学の学生が、宮城県石巻市内のタクシー運転手が体験した幽霊現象をテーマに卒論を書き、話題になった。

 宗教団体に霊魂観に関するアンケートを行った結果、宗教者が法力を持つと考える教団は、霊魂の存在を肯定する傾向があるなど、多様性が認められた。

 現代は後世(ごせ)がないと思う人が多い一方で、御神木が守られ、鎮魂の儀礼が行われている。仏壇や位牌(いはい)を設け、塔婆で供養するなど、魂を切り離して日本仏教を語ることはできない。現代人に伝わるよう、うまく再翻訳することが大事だ。

あいまいな死生観
下町グリーフサポート響和国「ひこばえ」 本郷由美子代表

(画像05:本郷由美子氏)
本郷由美子氏

 池田小事件のときは、娘の死を受容できなかった。葬儀を行った僧侶は、心を満たす儀式をしてくれたが、私はわれを失っていた。

 事件のとき、娘が廊下を移動していたことを知った。必死に生きようとする娘の姿を思い浮かべることで、死を受け入れられるようになった。遺族は、亡くなった人を死者という新たな存在として誕生させ、新しい絆を結び直す。

 僧侶には、死生観の迷いやあいまいさに寄り添ってほしい。遺族は「この人を信じて、命や魂をゆだねたい」と思っている。教義的な死生観を押し付けるのではなく、日本人が持つ潜在的な信仰を意識しながら、両者の共通点にまなざしを向けてほしい。

超越的な次元につながる
宗教学者 島薗進東京大学名誉教授

(画像06:島薗進氏)
島薗進氏

 救いを目指す宗教には、死後に最終的な解決があるとされ、それが死生観の核心となっている。

 近代科学の世界像が広まったことで、キリスト教の天国や極楽浄土の実在を感じ取りにくくなった。それでも葬儀が廃止されないのは、自己の制御を超えたものを受け止め、超越的な次元でつながることや、関係者が分かち合うことの意義を感じ取っているためだといえる。

 儀礼には「死後の救い」という宗教的な物語がある。それを受け継いできた教団や宗教者が、死者との別れの意味や心の在り方を伝え、「死とともにこそ生がある」と感じ取ってもらう。その観点から、儀礼を説明すべきではないだろうか。

【用語解説】チャプレン

 主にキリスト教で、教会以外の施設・団体で心のケアに当たる聖職者。仏教僧侶などほかの宗教者もいる。日本では主に病院で活動しており、海外には学校や軍隊などで働く聖職者もいる。

用語解説】池田小事件

2001(平成13)年6月8日午前10時10分ごろ、大阪教育大付属池田小(大阪府池田市)に包丁を持った宅間守・元死刑囚(当時37)=04年に死刑執行=が侵入。校舎1階の教室や廊下で2年女児7人と1年男児1人を殺害し、教員2人を含む1、2年の児童ら15人に重軽傷を負わせた。学校の安全管理や重大犯罪を起こした精神障害者の処遇に関する議論が本格化した。

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