2024年11月6日
※文化時報2024年9月6日号の掲載記事です。
パリオリンピック(7月26日~8月11日)は「炎上五輪」と評されたほど会員制交流サイト(SNS)での誹謗(ひぼう)中傷が相次いだ。運営上のトラブルや判定の公平性に対する苦情にとどまらず、選手への直接攻撃がみられたことが特徴だった。平和の祭典という看板が掛け声倒れにならないよう、4年後のロサンゼルス大会に向けて再発防止に取り組む必要がある。
国際オリンピック委員会(IOC)の選手委員会は8月18日、五輪期間中に選手や関係者にSNSなどで8500件を超える誹謗中傷の投稿が確認されたと発表した。異常事態だといわざるを得ない。
日本では、試合に敗れて号泣した柔道選手や個人種目を辞退した競歩選手らへの非難が相次いだ。海外では、ボクシング女子で金メダルを獲得したアルジェリアと台湾の選手が「トランスジェンダー」と誤って決め付けられ、深刻な人権侵害を受けた。
人格を否定する投稿で傷つくのは、精神を鍛えられたアスリートも一般の人々と同じである。発信する側は、感情をあらわにして相手を責める「非難」ではなく、異なる考えであっても冷静に検討した上で相手に伝える「批判」を心掛けるべきだ。
閉じた小部屋で音が反響するように、意見を発信すると自分と似た意見が返ってくる「エコーチェンバー」や、極論が形成されていく「サイバーカスケード」など、SNSは攻撃性を生みやすい特質がある。誤った使い方をすれば人を死に追いやる恐れがあることも、自覚しなければならない。
もっとも、アスリートへの中傷はデジタル空間だけで起きるわけではない。
日本では、プロ野球などの「やじ」が問題視されている。ユーモアや文化とみなして肯定的に捉える意見もあるが、公衆の面前で罵倒や嘲笑することは、声援と明らかに異なる。球団側は侮辱的な替え歌を含めてやめるよう呼び掛けており、やじはマナー違反と認識されつつある。
いずれにせよ、アスリートを個人攻撃する人たちに共通するのは、敬意が足りないことだ。
IOCは、五輪憲章の価値観を現代的な表現に変えた「オリンピック・バリュー」で、「卓越」「友情」「敬意/尊重」を五輪の価値と位置付けている。そしてこれらはアスリートだけでなく、多くの人々が共有し日常生活で生かせるものだと説明している。
敬意を持つという点において、普段から神仏を敬い、また人々から敬われている宗教者には、伝えられることが多くあるはずだ。
仏教は、敬礼の語源である「恭敬礼拝(くぎょうらいはい)」を重んじる。また聖書は「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい」(ローマ人への手紙12章10節)と説く。
敬意なくして信仰は成立しないのだから、宗教者は敬意の大切さを積極的に発信してほしい。それ自体が、デジタル空間を思いやりのある言葉で満たすことにつながり、誹謗中傷への対抗手段になると信じたい。