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〈文化時報社説〉残念な朝日社説

2024年12月9日

※文化時報2024年9月27日号の掲載記事です。

 残念な社説だった。生命倫理を根幹から揺るがし、優生思想を生み出しかねない医療技術に対して、所管する公的機関が必要だと結論づけるだけでは、思考停止のそしりを免れないのではないか。

 受精卵が細胞分裂した胚の段階から遺伝情報を調べる着床前診断=用語解説=を巡って、朝日新聞は9月11日付で「着床前検査の拡大 滑りやすい坂道くだるには」と題する社説を掲載した。検査がなし崩しに広がっていくことを「滑りやすい坂道」に例え、階段をつくって慎重に下りるために「公的機関の設置を急がねばならない」と訴えた。

 現状では検査の可否を日本産科婦人科学会が審査している。会員医師らによる民間組織に、生命倫理に関する責任を全て負わせることは、たしかに荷が重い。代わりに公的機関が判断すべきだとの理屈は、一見すると至極当然のように映る。

 だが、それは枝葉の議論にすぎない。複数の胚の中から、遺伝情報で優劣をつけ、子宮に移植する一つを選び取る以上、着床前診断は「命の選別」を前提にした検査である。神の領域により深く立ち入ることを自覚し、坂道を下りること自体に待ったをかけるべきではないのか。

 「重篤な遺伝性疾患」をわが子に引き継がせたくないと思うのが親心なら、重い病気や障害を持って生まれてきたわが子の幸せを願うのもまた親心である。ましてや本人に「生まれてこない方が良かった」と思わせるような社会であってはならない。

 生きるに値しない生命などない、という土台があってこそ、私たちは共生社会をつくることができる。着床前診断の実施は、そうした土台を揺るがすという意味において、相模原障害者施設殺傷事件=用語解説=と同根ではないのか。

 胎児の染色体異常を調べる新型出生前診断(NIPT)=用語解説=による人工妊娠中絶と比べ、着床前診断は精神的・身体的な負担が少ないとのメリットを挙げる声もある。

 しかし、命を巡る価値観は多様かつ宗教性を帯びており、受精卵の扱い一つをとっても慎重な配慮が必要である。例えばカトリックの教説は受精卵を人間とみなしており、使わない受精卵を廃棄する体外受精にも反対の立場を取っている。

 日本ダウン症協会と日本ダウン症学会が昨年11月に開いた合同集会の大会長講演で、玉井浩・大阪医科薬科大学名誉教授は「胎児には、中絶につながる可能性のある障害の有無を誰にも知られたくない、という権利があるのではないか」と述べた。この「胎児の人権」という概念を受精卵に援用すれば、簡単に着床前診断を肯定できないはずだ。

 朝日の社説は、旧優生保護法にも触れつつ、共生社会と優生思想の関係について丹念に筆を進めた。一方で、国民一人一人が当事者意識をもって考えるべき命の問題であること、宗教の智慧を生かすことには触れずじまいだった。

 病気や障害があることは、不幸ではない。不幸だと思わせてしまう社会の方に問題があることを、強調すべきだったのではないか。

【用語解説】着床前診断

体外受精で得られた胚(受精卵が複数の細胞に分裂したもの)の染色体や遺伝子などを調べ、子宮に移植する胚を選ぶ技術。妊娠率の向上や流産・死産を防ぐ目的とした検査のほか、重篤な遺伝性疾患を子どもに受け継がせないための検査(PGT―M)がある。日本産科婦人科学会が1998(平成10)年に容認し、申請に基づき検査の可否を1件ごとに審査。2022年に審査基準を緩和した。新型出生前診断(NIPT)同様、障害・疾患への偏見を助長する恐れが指摘されている。

【用語解説】相模原障害者施設殺傷事件

2016(平成28)年7月26日未明、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、元職員の植松聖死刑囚が入所者19人を刺殺し、他の入所者24人と職員2人に重軽傷を負わせた。植松死刑囚は事件前から障害者を差別する発言を繰り返していたとされる。20年3月に横浜地裁で死刑判決が言い渡され、植松死刑囚は自ら控訴を取り下げて確定。22年4月に再審請求を行った。

【用語解説】新型出生前診断(NIPT)

妊婦の血液から胎児の染色体異常を調べる手段。日本ではダウン症など3種の疾患を対象に、2013(平成25)年に始まった。受診前後の「遺伝カウンセリング」や正確な情報提供を行うため、日本医学会が500超の医療機関を実施施設として認証している。産婦人科医のいない非認証施設でも検査が行われていることや、障害・疾患への偏見を助長する可能性があることなどが問題となっている。

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