2025年8月8日
※文化時報2025年5月13日号の掲載記事です。
1年ぶりに少年院「加古川学園」(兵庫県加古川市)を訪れた。昨年度に引き続き、今年度も院生さんを前に自分自身の話をさせていただいた。

今回は1時間30分の持ち時間のうち、1時間を自分自身の話として、残りの30分は院生さんたちとの交流を兼ねて、質疑応答の時間とさせていただいた。
当初は個人情報の観点から、質疑応答の時間を持つのは難しいかも、という感じだったが、教育専門官の方の交渉で、何とかさせてもらえた。質問の際に院生さんが自分自身について話してしまうことのリスクを考えながら行った。
院生さんたちがくれた一つ一つの質問から、さまざまな背景を考えさせられた。
○渡邊さんにとって、アルコールや薬物への依存は本当に意思ではどうにもならないのか?
○精神科系の薬で依存症は起こるのか?
○自分自身に価値がないということだったが、今はそこを埋める価値を持てるようになれたのか? なれたのなら、どのようなきっかけからそうなったのか?
○アルコールや薬物の依存をやめ続けるのは大変か? 大変ならどのような部分か?
○正しさを持てるようになったのか?
質問に対して私が経験したこと、感じてきたことを院生さんたちと分かち合えて本当にうれしかった。一人一人のまなざしを見られて、声を聞けてうれしかった。
たぶん私の話は法律にのっとって正しいわけでも、一般常識から考えてまともでもないのかもしれない。自分にとっては「こうなんだ!」と見いだした道だったから、ときどき笑いが起こった。そうした笑いや和やかな風景に、とても癒やされた。
私が何よりも院生さんたちと分かち合いたかったのは、弱さは否定するものではなく、否定されるものでもなく、まさに自分という人間を指し示すものであり、生きていく上で必要不可欠で、大切に大切に扱うものである、ということだった。
「尊くも愛(いと)おしくもある大切な自分自身ってものなんですよ!」ということだった。