2026年2月21日
※文化時報2026年1月23日号の掲載記事です。
滋賀県東近江市で書家として活動する野田しのぶさん(48)は、自宅で開く書道教室「彩(いろどり)」で、生きづらさを感じている子どもたちの居場所づくりを行っている。2023年4月に夫の雄司さんが事故死したことで、書家として生きようと決めた。書道教室を開くと、さまざまな課題を心に抱えている子どもや、その親たちが訪れるようになったという。(大橋学修)
野田さんは幼いころから言葉や字を覚えるのが早い子どもで、7歳から母と共に習字を習い始めた。20歳のときには、「奈良習字」と呼ばれる流派を滋賀県内で唯一教える書家の一番弟子として入門。17年4月からボランティアで子どもたちに書道を教えるようになり、24年2月から本格的に書道教室を開いている。

教室には、25人ほどの子どもたちと共に親たちも通っており、不登校の子どもや独特の感性のため周囲になじめない子どもが集まる場になっている。野田さんと生徒たちは、自分たちのことを「チーム」と呼び、困り事を抱える子どもを、みんなが受け入れる場になっている。
教室に通えるかどうかは、チームが決める。「あの子はどう?」「なんか違う気がする」などと、チームの思いを確認する。野田さんは「習字を学ぶより、この場に連れて来たいと思う方のみお受けしている」と話す。
子どもたちは、それぞれが場づくりのための役割を担っている。親たちも、よもやま話に花を咲かせながら、日々の生活で乱れた心を整えていく。野田さんは「学校に行けることや、字が書けることを含めて、それぞれの分野の天才がいる。子どもも親も気持ちを吐き出せる場でありたい」と話す。
書家になる前の野田さんは、自分の表現に自信を持てなかった。「今までに何も達成したことがない」という思いがあった。
高校時代にトップを目指して打ち込んでいた剣道は県内2位で、大学受験は失敗。紹介された職場が倒産し、転職先では椎間板ヘルニアになり動けなくなった。「生きるって何だろう」という思いが渦巻いていた。
夫の雄司さんと家庭を築き、子育てだけでも完璧にしようと思っていた。ところが、夫の雄司さんが交通事故に遭い、帰らぬ人となった。49歳だった。
そこからの半年間は、毎日誰かが自宅を訪問してきた。夫は学校で教員をしながら、サッカーのクラブチーム「SAISON(セゾン)フットボールクラブ」の指導者もしており、交流が広かったからだ。毎回同じ話をせねばならず、苦しさを感じた。自分を責め、両親との連絡も絶った。

そんなとき、知人が「息抜きに」と誘ったのが、いろいろな業種に携わる経営者の交流会だった。「こんな世界があるのか」。それをきっかけに、自分の得意な書道で起業しようと決めた。
友禅の分野で金彩を手がける伝統工芸士で、俳優や歌手の衣装づくりも行う三宅誠己さんと協力し、数々の作品を創作するようにもなった。
振り返れば、夫がしていたことや言っていたことをトレースするように行動するようになっていた。
夫には「後ろ盾なしに筆だけ持って米国に行け。できなかったことを理由にするな。こう表現したのだと、自信を持って作品を出せ」と言われ続けていた。
書家になったことで、心のしこりも取れるように感じ始めた。両親とも再会し、父親からは自分の仕事を認められ、母親からは「捉え方が変わってよかったね」と言われた。
実家から帰宅後に書いた作品が「愛」だった。「自分の視座が変わったことを皆に見せたい」と感じ、多くの職人の力を借りて、三宅さんの友禅とコラボレーションして一つの作品に仕上げた。

書家として自分の足で立ち上がり、多くの人との出会いを繰り返し、仲間と共に生きるようになった。そして今は、新たな人との出会いが、どこにつながっていくのかということに興味を持つ。
それを形にするため、出会った人にははがき大の和紙に、そのときの気持ちを一字で表現してもらうプロジェクト「一筆の輪」を行っている。
野田さんは言う。「今が全てではない。苦しんだ先は、必ずある」
