2025年1月22日
※文化時報2024年10月15日号の掲載記事です。
死神(しにがみ)から呪文を教わり重い病気の人を回復させて大もうけする噺(はなし)がある。「死神」という有名な古典落語の演目だ。
病人のそばに行き、死神が足元に座っていると呪文で退散させることができる。枕元に座っていると死が間近で諦めるしかない。死神は主人公の男にしか見えないので、足元に座っている死神を退散させると病気が治り、お礼に大金をたっぷり頂けるというストーリーだ。
大きな病院でがんの治療をしていても「これ以上の改善は見込めない」と医師から告げられる場合がある。筆者の身近なところでは先月から2人続いている。「さじを投げられた」と悲嘆にくれる患者とその家族。こちらも胸が痛くなる。
冷静な判断ができなくなる人も多い。わらをもつかむ気持ちで民間療法や呪術へ傾く人も出てくるだろう。死神を退散させる呪文があればとは思うが、そうはいかない。そんな時に宗教者にできることはないのだろうか?
世界保健機関(WHO)が2002年に示した緩和ケアの定義には、死別後の家族へのケアも含まれるとしている。医療現場での宗教者の活躍が期待されるようになったきっかけの一つであろう。
ただし、期待は高まるが何をしていいのか分からないのが宗教者の現在地だと思う。
宗教者ができることは患者や家族に「寄り添う」ことだろう。しかし、余命がわずかとなった時に宗教者が近づいてきたら、それこそ「死神退散」と塩をまかれるかもしれない。常日頃からの関係性は大事である。
古典落語「死神」のサゲにはさまざまなパターンがある。主人公の男が死神を怒らせてしまい、自分の寿命であるろうそくの炎を自分で消してしまうというものもある。
演芸場で落語を楽しんでいる聴衆は笑うが、それは他人事であるからだろう。命の炎はいつ消えるかわからない。それを伝え続けるのが宗教者の役目であり、医療と連携した緩和ケアはその延長線上にあると考える。