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「文化時報」コラム

〈1〉私にとっての依存症

2025年1月6日

※文化時報2024年9月24日号の掲載記事です。

 渡邊洋次郎といいます。年齢は48歳で、大阪に住んでいます。今回はひょんなことから文化時報さんで連載を書かせていただくことになりました。国語や文章を書く勉強を学生時代にちゃんとしてこなかったので、かなり独特な表現が多いかもしれませんが、お許しいただけたらと思います。

生き直し―非行・自傷・依存と向き合って―サムネイル

 私は数年前から、アルコールや薬物、ギャンブルなどの依存症を持った方々の支援の仕事に従事してきました。私自身もアルコールや薬物の依存症者です。自分自身が体験してきた経験の中から、依存症や「リカバリー」、それからさまざまな事柄について、読者の皆さまと共有させていただけたらと思います。

 まず皆さまは、アルコールや薬物の依存症と聞いた時、どのような印象を持たれますか?

 ひと昔前なら「アル中」という言葉が一般的でした。意志が弱いとかだらしがないとか、無責任とかいわれていました。私も今でこそ依存症は病気だと理解しつつも、長い間、意志が弱いとか我慢が足りないんだと、自分自身のことを思ってきました。

 私自身は依存症と診断を受けたのは今から28年前、20歳の時でしたが、それ以前からシンナーを吸って警察に逮捕され、少年鑑別所や少年院に入っていました。

 警察や少年院では当然犯罪者として扱われましたから、求められるのは反省や更生ばかりでした。薬物の使用が繰り返されれば「反省してない!」と怒鳴られるわけです。

 そんな延長上の診断でしたから、最初はなかなか自分が病気なんだと素直に受け止められませんでした。

 幼少期から周囲とうまくなじめず、両親との言葉でのコミュニケーションがうまくいっていなかった私は、自分という存在の根幹を成す土台みたいなものが、備わっていませんでした。

 今どきの言葉で言えば「自己肯定感」なのかもしれませんが、とにかく自分が自分でいいんだと思えないまま、保育所、小学校、中学校と年齢だけ重ねていきました。

 そんな中でキャラを作ってみたり、人がしないような悪さをしたり、非行に走って薬物を使ったり、そういった行動に走っている時だけが、たくさんの他者がいる中で私に「自分は自分、これが俺なんだ」と思わせてくれたんです。

 だから単純にアルコール依存症や薬物依存症は病気であり、病気だからやらなくなることが回復することで「いいこと」である、とは考えられませんでした。

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