2025年4月17日
※文化時報2025年1月14日号の掲載記事です。
「フジテレビは潰(つぶ)れます」
新年早々のお笑い番組で爆笑問題という漫才コンビが過激なネタを披露した。生放送だけにインパクトが強烈であった。猛省を促す叱咤激励なのか、タレントの疑惑をお笑いに変えることで鎮静化を意図していたのか真意は分からない。
「自民党をぶっ壊す」と叫び選挙に圧勝したのが小泉純一郎元首相。郵政民営化を実現させた。その自民党が今も政権を握っているのは、自民党がなくなってほしいというよりも変わってほしいと願っている人が多かったということだろう。
「存続はしてほしいが、今のままでは嫌だ。変わってほしい」と多くの人に願われているのは、仏教界にもいえるのではないだろうか?
わが国の人口構成は、1950(昭和25)年ごろは富士山型であった。子どもの数が多く高齢者は少ない。戦争の混乱が少し落ち着き、高度成長へと向かう下地は充分であった。血族で支え合い、先祖を敬うことが必須の社会であったろう。
しかし、少子超高齢社会の現代は、先祖を敬うどころか、高齢者の介護が大きな社会的課題となっている。老や病とどう向き合うかへの関心が高まっている。ぶっ壊すべきなのは「葬式仏教」ではないだろうか?
葬儀や年忌法要に僧侶が関わるのをやめようという話ではない。むしろ、仏事としての葬儀はますます重要になってくると思う。ただ、僧侶が関わるのはもっと前からだと訴えている。それが「福祉仏教」である。
老や病に関する檀信徒の苦悩に僧侶がどれだけ寄り添っているのか? 「気持ちはあっても、頼ってもらえない」という僧侶は多いだろう。それは「聴く」ことに慣れていないからだと思う。「話す」ことが得意な僧侶も多いだろう。では「聞き上手」な僧侶はいるのだろうか?
「お寺は潰れます」と小欄では言い続けようと思う。もちろんなくなってほしいわけではない。お寺に活気があることを心から願っている。そのために看護・介護と連携することをおすすめする。それが小欄の使命だと心得ている。今年もこのスタイルは健在である。