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「文化時報」コラム

〈96〉邪悪な心を振り返る

2025年4月23日

※文化時報2025年1月28日号の掲載記事です。

 あの日から30年。1月17日は阪神・淡路大震災が発生した日であり、30年の節目である今年は、テレビや新聞でも大きく取り扱われていた。

 30年前、筆者は大阪市内の建築資材メーカーに勤務していた。当時は午前7時には会社へ到着している毎日だった。地震が発生した時は、自宅を出ようとする寸前だった。今まで経験したことがない大きな揺れだったが、すぐに収まったので何のためらいもなく駅へ向かった。

 電車は動いていなかった。すぐに自宅へ引き返し、自家用車で会社へ向かった。早朝なのに大渋滞で、地下鉄も止まっていたためたくさんの人が道路を歩いていた。これが地震直後の大阪市内の様子。隣の神戸で大きな被害が出ているなど知る由もなかった。

 それから数日間、大阪市内の見た目は日常と変わらなかった。ただ、物流が大混乱しており、四国も含めた神戸以西への商品供給が滞っていた。会社は大ピンチであった。

 物流会社と善後策を協議した。偶然にもうまくいきピンチは脱した。その功績を評価されて異例の出世へとつながった。

 自慢話に聞こえるかもしれないが、実はこのことを深く恥じている。大震災がきっかけで自分が出世したのである。恥ずかしくて今まで封印していた。

 同じ年の11月、父親ががんで命終した。満59歳であった。それが僧侶への道となった話は講演会などでずいぶんと披露してきた。実は伏線として、大きな被害を受けた神戸の隣で、会社の利益のために全力を尽くす会社員の悲しい姿もあったのである。

 「他者のために尽くしたい」という行動指針は筆者にはない。「小慈小悲もなき身にて」とおっしゃった親鸞聖人のお言葉が胸に刺さる。「自分さえよければ」という邪悪な心が備わっている。

 おぞましい自分の姿を認めるのは勇気がいる。あれこれ言い訳をしたくなる。

 でも大丈夫。仏様は全てを知った上で手を差し伸べてくださる。医療や福祉の現場で出会う人にも伝えている。

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