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「文化時報」コラム

〈11〉家族への手助け(上)

2025年6月13日

※文化時報2025年3月4日号の掲載記事です。

 家族支援や家族会という言葉は、精神科病院入院中や地域の自助グループに参加したときに聞いていた。断酒会だと家族会があり、AA(アルコホーリクス・アノニマス)なら本人が通う自助グループとは別に、アルコール依存の問題を持つ人の家族が参加する「アラノン」がある。

生き直し―非行・自傷・依存と向き合って―サムネイル

 最近、アルコールや薬物依存症の本人からだけでなく、家族や友人、支援に携わる人たちといった、いわゆる依存症者の周辺に生きる人たちからも、いろいろなしんどさを聞かせていただくようになった。以前は家族や友人が参加している自助グループの意味合いや、それらが家族にどのような助けになっているのかが分からなかった。ただ、しんどさやつらさ、悲しみを聞いているうちに、自分自身の母親との関係を考えるに至った。

 私の家族はもともと父親、母親、姉、妹と私を入れた5人家族で、大阪で暮らしてきた。私が16歳のとき、父親はお酒の飲み過ぎで49歳で亡くなっている。それ以降、母親は父親に代わって一家を自分一人の力で回していかなければならなくなった。

 私はもともと幼少期からややこしいことばかりやらかす息子だったため、両親はいろいろなところで頭を下げて回っていた。私が非行に走り、警察に逮捕されたり家庭裁判所に呼び出されたり、鑑別所、少年院と司法にもっていかれてからも呼び出された。

 少年院のころにはすでに父親は亡くなっており、家庭裁判所での少年審判で少年院送致が決まった際は、母親がたった一人で、手錠をはめ腰縄を打たれて法廷から連れ出されていく息子の姿を見るしかなかった。

 少年院から仮退院で出される際も、親がちゃんと少年を監督できるのかなどが問われる。20歳からは精神科病院への入退院を繰り返したが、途中からほとんどが医療保護入院になったため、外出も外泊も退院も全て親の同意が必要になってきた。

 息子を退院させるとまた自宅にパトカーや救急車が何回も来て近所から苦情が来るから、母親はどうしても退院させたくない。なんとか医師と話し合うなどして私を説得してくるけれど、私は何が何でも退院したいものだから、必死の形相で母親を説得しようとしたり、時には暴力を振るうほどの勢いで怒鳴り散らしたりした。

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