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「文化時報」コラム

〈108〉衣に対する興味

2025年10月17日

※文化時報2025年8月5日号の掲載記事です。

 夏だから当たり前ですが、とにかく毎日暑いですね。男性が日傘を差している姿も珍しくなくなってきました。道を歩く時はなるべく日陰を通るようにしています。それでも顔や腕は真っ黒になってしまいました。

 私が医療と連携する僧侶になった10年余り前は、夏場に亡くなる人はあまりいませんでした。

 ところが、今年は7月に二つも葬儀がありました。うち一つは、得度したばかりの新米僧侶にも出仕してもらいました。真っさらの衣が初々しく、入学式に向かう中学生のようでありました。

 勤行後、衣を畳むのにあくせくしておりました。少し離れて眺めていますと、参列していた介護・看護職員が集まってきて、なぜか「ああだ、こうだ」と言いながら衣を畳み始めたのです。もちろん、彼女たちは衣に触れるのは初めてであろうし、講習も受けていません。それでも折り目通りに畳んでいくときれいに収まりました。

 その光景は何ともいえない和やかさがありました。こうして新米僧侶と介護・看護職員の距離が縮まってくれるとうれしいのですが。

 他職種連携は相手に興味を持つところから始まるようです。同じ職種同士では珍しくもなんともない日常が、他の職種からしたら新鮮に映るのはごく自然なことだと思います。小欄の連載が始まったころに、中啓に興味をもった薬剤師さんを紹介しました。そんな話がもっともっと出てくると、他職種連携に加わる僧侶も増えてくるのではと思います。

 私は真夏でも作務衣を普段着にしていました。でも、夏用の作務衣(さむえ)でもやはり暑いので、今年からポロシャツに綿パンというスタイルに変えました。もう病院に行っても身なりからは僧侶だと分からなくなっています。それでいいと思っています。

 私の願うところは、介護・看護職と僧侶の連携がもっともっと広がることです。「老・病・死」の現場での苦悩を共有していくことです。もう少しのところまで来ている気配は感じております。

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